今回は、感動の(?)実話。
前号の「時短」の話にも関連する。
私は、かつて十数年前、勤務校で「自分の存在」を絶賛されたことが一つある。
そう、「君がうちの学校にいてくれて本当に良かった」と、多くの職員に心から感謝されたのである。
一体、何をしたのか。
それは「通知表のデータ入力化」である。
それまで、手書きで全て記入していたその学校の通知表が、すべてデータ化した。
しかし、決して、私がそのデータを作った訳ではない。
私の存在が、その大きなきっかけを作ったというのである。
どういうことか。
当時、教務主任や管理職の中で、通知表の所見欄についてが話題に上がったという。
「文字が読みにくい」「人によって文字の大きさがバラバラなせいで、量もバラバラ」ということである。
「字が細かすぎるなど特徴のある字で、若干読みづらい所見もある」という、ソフトな表現で全職員に伝えられた。
確かに、字の細かい人もいた。
しかし、恐らくそこは問題の「根本・本質・原点」ではない。
内実は、その9割以上が、私の字が原因であると自負している。
(多分、周りもそう認識していたはずである。)
実際にデータ化の話が来る前に、私には、直接依頼が来た。
「松尾君。君、周りの学校の人と結構つながってるよね。通知表をパソコンでやっているとこ知らない?」
私は待ってましたとばかり
「〇〇小学校がそうです」と即答した。
「うちもデータ化しようと思ってて。じゃあ、そこの校長先生に連絡とってみる。ありがとう。」
とお礼を言われた。
そう。
直接は言われなかったが、私の字がデータ入力化の根拠になったと思われる。
経営委員会でも「これなら仕方あるまい」と誰しも納得したことだろう。
晴れて、通知表のデータ化が、先に紹介した理由の言葉とともに発表された。
多くの職員が、大喜びだった。
(達筆でPCが苦手な方にとっては、ありがたくなかったかもしれないが、時代の流れである。)
後にも先にも、あれほど同僚に感謝されたことはない。
そう、短所は、長所にもなり得る。
ありのままに生きていこうと決意を固めた、若き日の思い出深い出来事である。
2018年11月16日金曜日
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