かねてより、聞く力の方が優先という主張をしている。
しかし、全員が一律に聞く力を高めれば、話合いが成立するということではない。
集団は異なる個性の集まりだからこそ面白いのである。
学級における、役割論である。
例を挙げる。
クラス会議をやるとする。
まずここには、明確な役割分担がある。
司会。
黒板書記。
ノート書記。
それらの役割をもたない参加者。
ここを考えるだけでも、色々ある。
例えば、必要な能力。
司会は、当然話せる必要がある。
そればかりか、全体の意見を拾ってまとめていく力も必要である。
つまり、聞いた上に理解して伝える力である。
調整能力も必要だ。
最も多岐にわたる能力が必要な難しい役割である。
黒板書記。
当然、書く力。
実は、それ以前に、聞く力である。
聞いてないと書けない。
ある程度要約する必要もあるので、理解していないと書けない。
しかも、見やすさや構成にも配慮する必要がある。
なかなか多機能である。
ノート書記。
これは視写する能力のみが必要になる。
ただし、自分の番には発言もしないといけないので、結構忙しい。
他の参加者。
聞く力と話す力である。
ちなみに、輪番で意見を述べるだけの一周目は、話す力のみでも体裁は整う。
しかし、その後の話し合いになれば、聞いていたかどうかすぐにわかる。
それを補助するものとして、黒板がある訳である。
(極論、全員が聞いたことを頭のなかで描けるのなら、黒板は不要である。)
実は、更に陰で役割分担がある。
話し合い自体に活気を与える役割。
これは数人いればよい。
普段から元気のいいメンバーである。
あまりにここが多いと騒がしくなりすぎる。
話し合いに示唆を加える役割。
よく周りの話を聞いていて、矛盾点や問題点をずばりと突く。
論理的思考力が必要である。
割と無口な子どもに多い。
フォロワー。
良い意見に賛同し、意見を補完してくれる。
聞く力と協調性が必要である。
本来は不要なよろしくない役割として、フリーライダー。
意見も何ももたず、ただ話し合いに参加してるだけである。
話を聞いてなくても問題ないので、それが一番の問題である。
さて、どれが多く必要か。
いわずもがな、フォロワーである。
ここは、聞く力命である。
要は、クラス会議のような、話し合うための場においてこそ、聞く力が必要ということである。
授業だって、聞く力がなければそもそも何も教えられない。
よく聞くという役割は、最も多く必要なのである。
ただし、少数ながら、他の能力が必要な役割も、重要である。
だから、その能力に応じた役割を与えるのがよい。
ただし、やはり基本は聞く力。
全体的にはここからアプローチするのがおすすめである。
2018年11月22日木曜日
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