2018年11月20日火曜日

揃えるか否か 学びやすさ基準

揃える。
大切である。

例えば、物の位置。
提出物がめちゃくちゃに出されると、処理に困る。
例えば、掃除道具。
揃っていることが、掃除そのものへの心構えになる。

さて、揃えない方がいいこともある。
その最たるものが、やり方である。

個人のもつ能力は、十人十色である。
ある人にとって楽なことが、ある人にとっては苦痛。
ある人にとっては簡単なことが、ある人にとっては困難。

こういうことは、例を挙げればきりがない。

先日、学級づくりの校内研修会でこの話をしたところ、ベテランの先生から質問か出た。
「一年生でも、揃えない方がいいですか。」

これは、本質を捉えた質問である。
一年生で、色々と学年で揃えることの本質的な意味。
それは、子どもにとっての「学びやすさ」である。

ただでさえ戸惑うことの多い一年生を、混乱させないこと。
隣のクラスも同じようにやっている。
そうすると、ルールが理解しやすい。

だから、低学年では、揃えることが多くなるのである。
高学年は、やり方を変えても、子どもがついてこられることが多い。
そこは大きな違いである。

ちなみに、中学になると、また色々と揃えるようになる。
制服もその一つといえる。
これも、生徒の学びやすさにつながる。

なぜなら、中学は、教科担任制である。
毎時間、違う先生に習う。
ルールにばらつきがあると、お互いに不都合が生じやすい。

制服の話も同様で、ルールが統一されることで、実は安心感が出る。
多感な時期に、毎日着る服に悩む必要がなくなる。
家庭の経済的にも助かる。

私服校はここが自由な分、より自己と家庭への責任が重くなる。
自由をコントロールする力が必要になる。
入学自体が困難な学校に私服が多い理由も、自由をコントロールする力の育成と無関係ではないはずである。

話を戻すと、揃えるか揃えないかは、すべて子どもの学びやすさ基準である。
揃えることが、教師の都合のみであってはならない。

学年で何を揃えているか。
学級で何を揃えているか。
そして、それらは子どもの学びやすさにつながっているか。
チェックしてみると、見えるものがあるかもしれない。

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