働き方改革。
勤務時間と過労死に焦点が当てられるが、その本質は、「働き甲斐」の問題である。
しかしながら、がむしゃらに働けばよいというものでもない。
時間の使い方、時短は重要である。
時短というと、何だかせせこましいとか、冷たいとかいう印象をもつ人もいる。
私は方々で話す際、時短、あるいは不要な業務を捨てることは必要であると断言する。
なぜか。
1日は24時間と決まっているからである。
即ち、1時間余計なことに時間を使えば、1時間大切なことをする時間が減るということである。
逆に言えば、余計なことを捨てて1時間生み出せば、その1時間を大切なことに注力できる。
授業の準備は余計なのか。
明確に必要な時間である。
しかし実際は、余計なことに時間をとられているせいで、ここが捨てられていることもある。
つまり、子どもの学力向上という最も大切な仕事が捨てられているということである。
「重要度が低くて緊急性が高いもの」に優先的に時間をとられるため、
「重要度が高くて緊急性が低いもの」は後回しにされやすいといえる。
一見時間がかかるので非効率に見えて、実は最も能率的ということもあるので、そこは混同しないことも大切である。
例えば、日記の返事や手紙を書くこと。
例えば、保護者への電話。
例えば、日々の記録。
例えば、掃除。
これらは、手間がかかるが、直接あるいは間接的に子どもの成長に還元される大切な仕事になり得る。
では、教師にとって、余計な仕事とは何か。
一言で言うならば、
「子どもの成長に還元されない仕事」
である。
直接的にだけでなく、間接的にみても、である。
一方でこれらの類の業務は、性質上「必須」であることも多い。
例えば、一点の曇りなく正確に記された指導要録や出席簿は、子どもの成長に一切つながらないが、公簿として必須の業務である。
これらにとって大切なことは、形が整って最低限ができていることである。
(この記事をメルマガ上で書いた時から時間が経ち、働き方改革の一環で指導要録の在り方が変わる動きが出てきている。
通知表の写し等に変わる可能性が出てきたことは、歓迎すべきことである。)
また各種調査に対する報告書は、上司の命令によるものであり、業務としては必須である。
やらない訳にはいかない。
ここは時短の工夫が必須である。
何を余計とするかは価値観次第だが、基準を子どもの成長に置く。
するとすごく上の立場からして大切な書類なのかもしれないが、少なくとも現場の教師にとっては重要ではないものが多々ある。
(前から続いているからやっているだけで、現担当者も単にやめられなくなっているだけのものが膨大にあると思う。)
事務的な業務が余計というのは共感してもらいやすいが、子どもに関するものでも余計なものはいくらでもある。
例えば、ドリル等の〇つけ。
ここに「命の時間」を30分費やすぐらいなら、その時間で授業の準備等をした方がよい。
〇つけ自体は、子ども自身でもできる。
一斉にやることもできる。
(単に今日の学習の到達度を知りたい、あるいは子どもの誤った〇つけが気になるなら、〇つけをさせた後に回収すればよい。)
ワークテストは、評価用という面が多分にあるので、こちらが〇つけをする意味がある。
しかし、ドリルの本質的な役割は、子どもが繰り返し行うことで学力を鍛えるという面である。
自分で「ドリル」として繰り返し行えるようにするためには、自分で〇つけをする能力を鍛える必要がある。
自分で解答と照合して正誤の判断をできることは、中学までに身に付けるべき学習能力として必須である。
(これができない状態を「ピヨピヨちゃん」と呼ぶ。親が餌を与えるのをひたすら待つだけの雛鳥の姿である。)
要は、余計なことに「命の時間」をとられないこと。
師の野口芳宏先生の言葉を借りるなら、その業務のもつ
「根本・本質・原点」
を見極めること。
そして、教師の働き方改革における時短の根本・本質・原点は、
「大切なことへ力を注ぐため」である。
決して、楽をするためではない。
時短を否定しない。
いのちとは、即ち時間のことである。
時間は、すべての中で最も価値のある命の資産である。
2018年11月14日水曜日
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