2018年6月8日金曜日

こどもの日とメディア

こどもの日にメルマガ上で書いた記事。

健やかな成長を願って、子どもの子ども時代には、良い情報に多くふれさせたい。

ところでテレビやSNSのニュースを見ると、トップから相変わらず悪いことの記事が溢れている。
凄惨な殺人事件とか、愛憎関係とか、正直、知る必要のない情報が多すぎる。
(メディアが世に登場して以来の普遍的で不変のことではある。)

特に、政治家や芸能人といった有名人へのバッシング量は半端ではない。
有名なのだから、(一方的に)知っている人も多いし、量的な面では当然ではある。
普段「いいね!」が多い分、ひっくり返って「最悪だね!」も多くつく。

ただ、他人をバッシングをして騒ぐ人は、大抵暇である。
自分のすべきことに集中していない。
他人を攻撃する人は、自身が幸せから遠い。
自分勝手な要望を伝えるだけの「悪質なクレーム電話」の大半は、働いていない高齢者からだそうである。
(逆に、高齢者が無理に働かないといけない世の中を良いとも思っていない。)
バリバリ夢中で働いている最中の人には、余計なことをしている暇はない。

またモラル・ライセンシング効果もあって、
 「こんなに悪い奴をこてんぱんにやっつけてる自分」
=「自分は少し悪いことをしてもOK!」
という心の免罪符にもなり得る。

マザー・テレサやガンジーが騒ぐとは思えない。
人生の使命に従って生きている人には、毎日のやるべきことが多すぎる。
だから多分、こういうことには、静観しているはずである。
コメントや見解を求められたら、適当に答えるのではないかと思う。

騒がないまでも記事を楽しむ人が多いというのは、自分に不満がある人が多い可能性が高い。
自分にもっていないものをもっている人が、それを失う姿には、溜飲が下がる思いがするだろう。

総じて、子どもへの情報としては、無駄というより害悪ばかりである。
なくなればいいのにと思うが、多くのニーズがあるのだから仕方無い。
ホラー映画や暴力・殺戮系の映画と同じで、恐怖や暴力といった「負」にはかなりのニーズがある。

ユニセフの「子どもの権利条約」第17条、「適切な情報の入手について」の条文から引用する。
===================
(引用開始)
a 児童にとって社会面及び文化面において有益であり、
かつ、第29条の精神に沿う情報及び資料を大衆媒体(マス・メディア)が普及させるよう奨励する。
(中略)
d 第13条及び次条の規定に留意して、
児童の福祉に有害な情報及び資料から児童を保護するための適当な指針を発展させることを奨励する。
(引用終了 ただし記事の読みやすさを考え、一部を松尾が改行。)
===================

この条文に反して、現在の世界は明らかに子どもにとって有害な情報だらけである。
社会はキレイゴトだけではないのだから、「子どもを一切の悪から遠ざけろ」とはいわない。
ただ基本的に触れる情報を、子どもにとっての福祉で考えるべきである。
「世の中の大人は汚い奴らばかりだ」という考えを植え付けることが、子どもの福祉につながるとは思えない。

どうするか。
まずは、メディアの情報に無防備にさらさないことである。
インターネットが自由に閲覧できる環境は、子どもにとって害悪の方が多いことに対して、真剣な認識が必要である。

ここに対しすぐ「時代遅れな考え」ということを挙げる著名人も結構いる。
しかし、そういった著名人が、子どもの教育や学校教育に関する専門家とは限らない。
子どもには「発達段階」があるという認識が足りない可能性がある。
便利さと危うさは紙一重である。

便利だからと、子どもに無免許で車を運転させるようなものである。
ここは一定の保護下に置く必要がある。
ここに関しては、子どもが生きる社会の基本単位である、家庭や学級で気を付けていくしかない。

メディアの情報に無防備に浸かっていれば、皮肉屋になる。
変な風に大人びて、愛されない子どもになってしまうのは、社会の影響とはいえ、結局家庭と学校の教育の責任である。

こどもの日とは、
「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」
日である。

母への感謝は、あらゆる他者への感謝の基礎にもなる。
家庭をはじめとする社会の適切な環境づくりがあってこそ、子どもの幸福があることを忘れないようにしたい。

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