先日「かわいい子には小さなけがもさせよ」という記事を書いた。
参考記事:「その小学一年生はなぜジャングルジムの1段目も登れなかったのか」
http://www.mag2.com/p/news/357391
それに対し読者の方から
「小難は大難を避ける」
という言葉を教えていただいた。
なるほど、これは万事に言えることである。
「若い時の苦労は買ってでもせよ」という言葉にもつながる。
小さな困難を避けようとする姿勢が、より大きな困難を招く。
「これぐらい」「こんなもんで」という仕事の姿勢は、長い時間をかけて、やがて悪い結果を招く。
困難を歓迎して立ち向かう姿勢が、大きな困難を避ける、あるいは克服する力を養う。
小さな仕事を納得するまで「やりきる」という仕事の姿勢が、成功を招く。
例えば「クレームに感謝する」ということを書いたことがあるが、これも同様。
「クレーム」は単なる批判や文句、無茶な要求とは違う。
正当な訴えである。
商品に問題があったら、クレームという形で販売元に伝える。
そうすると、回収するコストを支払うが、その分、大きな事故を防げる。
きちんと経緯を説明すれば、逆に信用を高めるきっかけにもなる。
結論、「小事が大事」なのである。
そこへ今回は「掃除が大事」という話をしたい。
掃除のような小さいことが、最終的に身を助ける。
「なぜ?」と問われれば、説明はできる。
しかし、実感はできない。
実感は、行動にしかついてこない。
学級づくりで悩む先生のもとへ話に行く。
みんな、いきいきとした学級や、落ち着いた学級のつくり方には興味がある。
有名な〇〇先生のような学級をつくることを夢見ている。
しかし、自分のデスクの掃除をするのは、面倒なのである。
ゴミ捨てに行くのは、学級づくりと関係ないと思っている人もいる。
トイレ掃除を自分が真剣にやるのは、学級づくりと関係ないと思っている人もいる。
しかしこれは、大いに関係があることである。
掃除は大抵「面倒」である。
後回しにしても大丈夫なことである。
だからこそ、価値がある。
繰り返すが、ここへの「何で?」には答えられない。
運動と同じで、やって実感する以外ないからである。
やった人には、感覚的にわかることである。
小事は大事。
掃除は大事。
語呂もよいので、紹介してみた。
2018年6月4日月曜日
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