拙著『ピンチがチャンスになる「切り返し」の技術』が、好評につきまた増刷された。
https://www.amazon.co.jp/dp/4181907120
教育に携わる多くの方の手に渡り、何かしらの手助けができるかもしれないということは、この上ない喜びである。
この本の中で紹介している切り返しの一つに、「信じているよ。」というものがある。
自分の教育観の柱に当たる部分にある、根本的な切り返しである。
どんな子ども相手でも、何をされても、教員にとって子どもを信じる以外に生きる道はないと思っている。
さて、こんなに言っても
「でも、うちのクラスの子どもは、本当にひどいんです!何度言っても、裏切るんです!」
という悲痛な叫び声が上がるのは、心からわかる。
真面目な人ほど、ここに悩む。
(真面目でないなら、そもそも面倒で手のかかる子どもを相手に悩まないし、担任もしない。)
根本的な間違いの認識が
「信じる」=「相手は裏切らない」
という図式である。
これは、ほとんどの場合、誤りである。
なぜなら、
「信じる」の主語は自分であり、
「裏切る」の主語は相手だからである。
そもそも「裏切る」以前に、子ども側からすれば
「約束した覚えもない」
ということがほとんどである。
勝手に、一方的に、100%自分主体で、子どもを「信じている」だけである。
(類義語に「言ったでしょ!」がある。うん。言ったには、言ったと思う。こっちは聞いてないけど、である。)
あらゆる人間関係も、この誤りパターンが当てはまる。
わかりやすく、恋愛関係を例に説明する。
自分が好きになった相手が、全然自分を相手にしてくれないとする。
何度どんなに好意的な態度で喜びそうなことをしてあげても、「けんもほろろ」な反応である。
しかし、それでもがんばる。
それは、いつか相手が振り向いてくれると「信じている」からである。
ここで、間違える人は、相手を恨み出す。
「こんなに自分がしてやっているのに、なぜ振り向かないんだ」
「何て性格が悪いやつなんだ」
「人間としてダメなやつだ」
そう、こんなに自分が「信じてやってる」「一生懸命」なのに、である。
これが、いかに「ヤバいやつ」かは、説明する必要はあるまい。
まあ、このままいくと、ストーカー等の犯罪行為に走るのは必至である。
相手が振り向くかどうかは、相手に100%の選択権がある。
いわずもがなの当然すぎる前提だが、「恋は盲目」で、一生懸命、必死なほど、ここを見誤る。
本来は、「やり方を変える」とか「距離の取り方を変える」とか、色々手法を工夫すべきところである。
繰り返す子どもの不適切な言動も、これと同じである。
信じるかどうかは教師に100%選択権があるが、変わるかどうかは、100%子どもに選択権がある。
信じるが、やり方は少しずつ変えないと、同じ結果が出るのは目に見えているのである。
だから「信じている」けど、「また裏切られるかもね」という言葉も含みおきである。
そこすら「お約束」である。
「信じる」と「裏切られる」は、表裏一体、パッケージなのである。
「信じているよ」といいながら、当然裏切られる覚悟をもち、ほんの少し「次は変わるかも」と期待する。
その確立は、標準で1%以下である。
100回言えたら、1回チャンスタイムが来るかもしれない。
ほとんどはずれの、当たりくじ付きお菓子のようなものである。
標準で「銀のエンゼル」、大物相手は「金のエンゼル」レベルである。
それでも、開ける瞬間は「今度こそ当たりかも!?」と思って、どきどきする。
それぐらいの確立だと思って、大らかに構えることが大切である。
色々書いた。
こういう、哲学的なというか、「観」の部分にも力を入れて書いた本である。
ピンチがチャンスになるぐらいの真の切り返しワードを手に入れたいなら、そういう部分をこそ、読んでいただきたい。
2018年6月14日木曜日
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