ある日曜日の、電車の中での気付き。
その日は、マナーの悪い子どもに何人か出くわした。
電車で通路を挟んで向かい合って、大声でしゃべり騒ぐ兄弟。
車内で騒ぎ駆け回る子ども。
座席の上に立ち上がって遊ぶ子ども。
親は何をしているか。
横で、にこにこと「可愛いね」という笑顔で見ている。
騒ぐ子どもを連れる大人の共通項を見出だした。
母親不在である。
日曜日で、気をきかせて父親あるいは祖父母が連れて歩いているのかもしれない。
多分、母親がいたら、大方は
「静かにしないさい」のピシャリで終わりである。
(それ以前に、座席の上に立ち上がったりしない。)
甘いのである。
父親は、接する時間が短い。
嫌われたくないのかもしれない。
だから、悪いことやマナー違反を、叱らない。
じじばばに至っては、ここに輪をかけてひどい。
「孫を見る温かい目」である。
しかし、車内は、家じゃない。
車内は社会である。
周りの人と形成されている社会である。
ルールは、場にある。
人にはない。
場がルールを規定する。
社会において、個人の教育方針は、優先順位が低いのである。
(だから、電車への「遅刻」は認められない。
さようなら、次の電車をご利用ください、である。)
いい顔をするのは楽である。
甘やかせば、子どもは「パパ、大好き!」となる。
モノを存分に買ってやれば「じじばば、大好き!」となる。
この割を食うのは、母親である。
子どもの「大好き!」に惑わされてはいけない。
それは、「組み易し」という意味の可能性がある。
要は、普段接する厳しい母親と違って「チョロい」のである。
しかしである。
厳しさと本当の大好きは、両立する。
ジャイ○ンと母ちゃんの関係である。
クラス一の悪ガキをしつける母ちゃんは、誰よりも大変である。
子どものマナー違反は、ほぼ100%その場に一緒にいる大人の責任である。
普段の学校なら、教師である。
休日なら、親である。
習い事なら、そこのコーチである。
ダメなことはダメと教えられる大人。
誰にでもそう言われる、という認識が大切である。
人を見て態度を変える子どもを育てているのは、周りの甘い大人である。
2018年6月27日水曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿