主体変容・率先垂範。
拙著『やる気スイッチ』でも第一章で取り上げている最重要項目である。
原田隆史先生の「東京教師塾」で学んだことであり、元々は松下幸之助氏の言葉であるという。
ところで、これがなかなかできない。
教科等なら、難しいのはどれか。
運動の苦手な人は体育と答えるかもしれない。
音楽かも図工かも書写かもしれない。
人前で表現するのが苦手な人は、外国語かもしれない。
あるいは、文章を書くのが苦手で国語かもしれない。
私の思うに、主体変容・率先垂範が最も難しいのは、道徳である。
道徳で教える内容ほど、実行が難しいものはない。
むしろ、大人より子どもの方が優れている面もあったりする。
しかも、長年染みついた行動パターンは、なかなか変わらない。
何が道徳的な行動を促すのか。
一つは、必要感であると思う。
それが本当に必要とわかれば、そういう行動を起こすようになる。
例えば挨拶の必要性は、社会に出るまで案外気付かない。
親や教師に守られない一人の人間として社会に出て、上司に叱られたり接客したりする中で、初めて気付く。
挨拶せざるを得ない状況になって、必要感を持つ。(今は、必要感を持たない職種もたくさんある。)
これは、社会性に起因する。
もう一つは、自尊感情であると思う。
そういう行動を選択する自分が好きならば、そういう行動をとる。
これは、一人であってもそういう行動をする。
大きく分けて、基準はこの「社会」と「自分」の二つではないかと思う。
ここを見ないで道徳を説いても伝わらない。
「良さ」だけでは人は動かない。
「悪いこと・ダメなこと」「楽なこと」に自然と流れるのが人間だという視点も必要である。
「感謝」ということ一つ扱うにしても、ここが大切である。
感謝をしなくても生きていける。
だからこそ、感謝という行動の価値付けが必要となる。
価値は、社会にとってと自分にとっての両面で考える。
表面的に道徳を説いても、思う効果は得られないと心得たい。
2016年7月31日日曜日
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