教育の手法の話。
子どもに色々な個性があるように、教師にも色々な個性がある。
特に子どもとの距離感の持ち方については、人それぞれである。
ボクシングのファイティングスタイルにインファイターとアウトファイターがある。
前者は、相手との距離をぴったり詰めて、密着して打ち合いに持ち込む。
肉を切らせて骨を断つスタイルである。
後者は、相手との距離を一定に保ち、脚をつかって近付かせないようにうつ。
蝶のように舞い、蜂のように刺すというスタイルである。
そしてこの二つの中間のミドルレンジで戦うボクサーもいる。
全く異なる二つのタイプだが、どちらがいいとは一概に言えない。
個人の能力によって、合うスタイルがある。
打たれ強く、パンチ力が高いなら、インファイトができる。
リーチが長ければ相手に近付かせないアウトファイトができる。
逆にいえば、どんなにパンチ力が合っても、相手に当たらなければ負ける。
リーチが長ければ、インファイトの時に連打がしづらく、邪魔である。
逆のスタイルをとってしまえば、長所が短所に、短所が長所になり得る。
リーチなどは変えられないのだから、自分の能力に合うスタイルを適切に選ぶ必要が出る。
(ボクシングの場合なら、階級を変えるという手もある。)
たとえが長くなったが、教師にもいえる。
子どもとの距離感。
密着するほど近い距離で指導する人がいる。
子どもとあだ名で呼び合うような関係である。
距離をとって指導する人もいる。
指導上の上下関係をはっきりさせ、礼儀をもって接する関係である。
もちろん、この中間やさらにこの軸の外の関係もある。
二元論的にどちらがいいとかいうことではない。
大切なのは、どれが自分自身と子どもとの関係に合うかということである。
あだ名で呼ばれるのに違和感を感じるのに、無理をしてそういう関係を作ろうとするときつい。
もっと親しくなりたいのに、上下関係を保とうと無理をするのもきつい。
子どもにとっても、色々な先生がいた方がいい。
親しみやすくリラックスできる先生と、おっかないけど頼りにもなる先生。その中間や外。
それぞれの場面で、力を最大限に発揮する人は異なる。
だから、学年チームは個性的な方がいいといわれる。
自分にとって無理のないスタイルを選ぶこと。
色んな人がいていい。
自分らしく、ありのままでというのは、そういうことだろう。
自分の性格と真逆の外面をとる必要はない。
これは、子どもにとってもいえる。
教師との距離感を、どうもちたいか。
子ども個々に違うはずである。
教師と子ども、それぞれに個性を認めていきたい。
2016年7月22日金曜日
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