エッセイというか、雑感。
どうも、子どもには通れて大人には通れないところというのが、結構ある。
先日は低いところの下にボールが通ってしまって、取れないでどうしようと思ったら、子どもがするっと下を抜けてしまった。
「そこはくぐったらダメなんだよ」とこっち側から呼びかけたら、するっと戻ってきた。
何か、言ってて虚しい感じである。
ある時は、破れた金網を抜けて「こっちが近道なんだよ」と教えてくれた子どもがいた。
「そこは通っちゃダメだよ」と教えると、残念そうに戻ってきた。
ある時は、学校のフェンスを軽々と跳び越えられてしまった。
「勝手に出たらいけない」と注意したら、そそくさと戻ってきた。
どれも立場による対応として、当然のことである。
一方で、時々、馬鹿らしくもなる。
大人は、人目を気にしない訳にいかない。
まして、立場があれば、尚更である。
ただ、子どもには、普通に通れる場所なのである。
でも「大人は入れません」という場所が、確実に存在する。
子どもの頃なら、できたことが、できなくなっている。
子どもの頃なら、できた発想が、できなくなっている。
私は子どもの頃、「自分が先生になったら毎日全部体育にする」と豪語していた。
大馬鹿である。体育嫌いには、かなり迷惑な存在である。
しかし、そういうことを本気で考えられるのが、羨ましくもある。
教室にいると、やらねばならないことがたくさんある。
しかし、学級経営の本質は何なのか。
学習指導要領に定められた内容をきちんとこなすこと、ではないはずである。
それはあくまで、子どもの力のある一面を育てるための手段にすぎない。
もっと、学級集団の力を生かして、何か違うことができるのではないかという思いが強くある。
学びの夏休みを迎える前に、まずは新たな試みを色々としてみたい。
2016年7月2日土曜日
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