学級目標を作る時、子どもたちから必ず出るキーワードの一つに「自由」がある。
「自由」なクラス。
いい響きである。
しかし、現実には「自由」をうたいながら、一部の自分勝手な子どもだけがやりたい放題やっている場合もある。
民主主義をうたいながら、内実は声の大きい一部の子どもの意見だけが尊重されている場合もある。
その時、「自由」を求める他の子どもは、この上ない不自由を感じて過ごすことになる。
そこで今回は、「自由なクラス」について考える。
その前に、まず「教員」という仕事は自由か。
不自由だという人からは「拘束時間が長すぎる」「多忙すぎる」という声が聞こえる。
特に、年間で部活動を主担当している教員は土日も含めて常時勤務している状態である。
そんな現状を鑑みて、若手教員数百人を対象に部活動について実態調査を行ったことがある。
(たまたま偶然、そんな役職を与えられたのである。)
内実は、部活で苦しんでいる人と、楽しんでいる人、まあまあという人が混在していた。
まあまあという人も、部活の意義を強く感じていたようである。
本当にやりたくないと苦しんでいる人もいる反面、部活は大変だけどやり甲斐があるという意見も強い。
特に中高には、部活動指導がやりたくて教員になった人がたくさんいる。
つまり、部活動を楽しんでいる教員は、自由である。
嫌々やっている人は、不自由である。
だから、部活動という一面だけ切り取っても、教員が自由かどうかは、一概にいえない。
少なくとも、仕事を楽しんでいる人は、自由といえる。
子どもの話に返る。
クラスにおける自由とは何か。
それは、そのクラスを楽しんでいる状態である。
個人レベルで見れば、自由派と不自由派が混在する。
長くなったので、次号に続く。
2016年7月13日水曜日
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