今更と思う人もいるかもしれないが、学級目標の話。
今年度、学級目標は6月末に完成した。
例年に比べると、ゆっくり作った。
その理由は、先週まで運動会でクラスがまとまっていたからである。
運動会が方向を示してくれていたので、その間は必要がなかったのである。
さて、運動会で燃えまくった。
クラスとしての大成功も収めた。
そうすると、終わった後の反動も大きい。
俗にいう「〇〇ロス」の状態である。
そういう訳で、新たな目標が必要になる。
ちなみに、運動会時点から目的は変わらない。
クラス集団の協働による自治力を高めること、子ども一人一人の成長である。
その「的」への「標」を新しく立てたいのである。
しかも、卒業までずっと使える標がいい。
途中変わるかもしれないが、そういう長期的な視点でつくる。
私の場合、アンケートを使ってつくる。
何度も紹介している、原田隆史先生の手法である。
最高の学級、最悪の学級とはどんなものか。
して欲しいこと、して欲しくないことは何か。
自分はどんなことをがんばりたいか。
そんなことを全員から吸い上げ、共有する。
学級目標を作るだけなら、良いことだけ書けばできる。
しかし、敢えてマイナスの悪いこと、嫌なことも書かせる。
これには、明確なねらいがある。
共有時は、誰が書いたものかはわからない状態にする。
そうすることで、嫌なことも遠慮なく書ける。
毒出しである。
今までためてきた不満をここでぶちまけてもらう。
「こんなことをされると嫌なんだ」ということを、クラスの仲間にも知ってもらう。
やってしまった人には、今後の反省材料に使ってもらう。
ただし、個人的な攻撃ではないので、すんなり受け容れられる。
がたがたの土台の上にきれいな建物をつくっても、崩れる。
理想だけ語ってもダメなのである。
クラスは、様々な人間の様々な感情が入り混じり、キレイゴトだけでは済まされない。
そういう毒というか、マイナス面も抱えて、受け容れて進むものである。
地盤がそうなのだから、それを想定して建物をつくる必要がある。
それが、自分たちの与えられた場なのだから、そこから始める。
どの年のどの地域のどこのクラスだって、そうである。
学級目標づくり一つとっても、ただの理想論に終わらせない。
本当に実のある、実効性の高いものをつくりたい。
2016年7月7日木曜日
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