今回は、上越教育大学教授の赤坂真二先生の記事から。
赤坂先生には、雑誌や編著で何本も書かせてもらい、個人的に大変お世話になっている恩人である。
↓参考『学級を最高のチームにする極意』シリーズ「学級開き」
http://www.amazon.co.jp/dp/4181852156
赤坂先生は、大学の偉い教授とはとても思えない(思わせない)気さくな方である。
本当にすごい人というのは、普段接している時にそれを変に感じさせない。
何というか、人間味がある。
立場や年齢の上下を越えて接してくれる。
私の尊敬する野口芳宏先生と通ずるものを感じる。
とにかく一度会ってみると初めてわかる感じのすごさである。
さて、本題。
赤坂先生の、次の記事を紹介する。
『協働は万能ではない』↓教育zine 明治図書オンライン
http://www.meijitosho.co.jp/eduzine/jichi/?id=20160136
記事の中に、「協働の光と闇」という項がある。
協働学習に万能性を感じているなら、必読である。
記事の中にある「全ては万能ではない」という認識。
大切である。
よく引用するが、ソクラテスの「無知の知」である。
一斉学習否定も、ここにあたる。
アクティブ・ラーニング推奨は、一斉学習を否定するものではない。
協働学習のみを全肯定するものでもない。
放っておくと何かに偏るから、そこに警鐘を鳴らしているわけである。
アクティブ・ラーニングの中には、多様な学習方法と状態が含まれる。
時に一斉学習、時に体験活動、時に個人作業で、時に協働学習なのである。
全員がずっと主体的でいてくれれば最高だが、現実はそうもいかないので、受動的に入ることもある。
こんなことは、数年の経験のある方なら、知っていることだと思う。
しかし、若手、特に新卒の人にとっては、こんなことだって、言われないとわからない。
言われないとわからないのは本人が悪いのではなく、わからなくて当たり前で、周りがきちんと言わないからである。
知らないことは、察しようもないのである。
(時々、この点において「それぐらいわかれ」みたいな理不尽な人がいるが、異星人だと思って聞き流すに限る。
新しく入る人は、その場の古いしきたりや暗黙の了解なぞ知るはずがないのである。)
偏らないこと。
いや、偏ってもいいが、偏っていることを自覚すること。
万能の方法はなく、新たに学び続ける以外に活路はないと心得ること。
当たり前ながら、結構大切な心構えである。
2016年5月1日日曜日
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