まぐまぐの「知識知恵・人生哲学」部門で受賞しているメルマガらしく、哲学の話。
最近、「円」についてよく考える。
円とはいっても、お金のことではない。
「〇」の方の円である。
多分、ここしばらく、禅関係の本を読んでいるからだと思う。
禅の心を形で示したのが〇(円)である。
いっそ、「凹」「凸」のように「〇」という漢字にしてしまえばいいと思った。
ちなみに「国」等の漢字の部首である「□」(くにがまえ)は、「円」と近い意味である。
しかし、最近、はたと気付いたのである。
「円」という字をよく見ると、部屋が二つに分かれている。
それぞれの部屋に、真逆のものがおさまっているのではないか。
善と悪。
権利と義務。
労働と対価。
勤労と奉仕。
代償と成果。
男と女。
親と子。
生徒と教師。
私とあなた。
・・・・・・・
眺めてみると、逆のようで、本質は同じである。
コインやお札の裏表と同じである。
裏表セットでないと、機能しない。
多くの場合、分ける意味もない。
この「裏表」(うらおもて)という言葉も、辞書で引くと面白いことがわかる。
「表裏」(おもてうら)より「裏表」の方が、辞書の登録数が多い。
私の手元の電子辞書では、
「裏表」は5つの辞書で表示されるが、
「表裏」は明鏡国語辞典ただ一つの結果である。
試しに、パソコンで変換してみても、
「裏表」は一発で単語として変換されるが、
「表裏」は、一文字ずつの変換である。
「うらおもて」は、訓読みである。
和語である。
つまり、日本では「裏」が「表」より先にくる。
「表裏」(ひょうり)は漢語である。
こちらは、表が裏より先である。
どちらが先に来るかということは、結構重要なポイントである。
大切と思われる方が、先にくる。
意図されている。
しかし、「円」の前において、それは無意味である。
円には、上下左右もない。
ただ巡り巡る円である。
そう考えると、「円」という字に二つ部屋があるのは、はたと気付かされる面がある。
二つで円、というメッセージが伝わってくるように思ったのである。
自分のやっていることも、目の前の子どものやることも、それぞれの円である。
自分自身が、いびつな円になっていないか、俯瞰して見る目を持ちたい。
2016年4月29日金曜日
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