3月11日にメルマガで書いた記事。
====================
東日本大震災から丸5年。
喉元過ぎれば熱さを忘れるというが、まだ過ぎていない。
見ていないだけである。
問題が目の間にあるのに、目を逸らしているだけである。
見ていないというより、見て見ぬふりをしているといった方が正確である。
改善された地域、立ち直れた人がいる一方で、何も変わっていないところもある。
福島の原発周辺がそれである。
手が付けられない状態は、ずっと変わっていない。
原発の放射能問題ははっきりと残ったままである。
都心部周辺に住んでいると、復興したかのような錯覚を覚える。
現実は、復興とはほど遠い現状である。
正直、自分の力では、どうにもできない。
目の前にある問題に対し、手も足も出ない。
原発問題に限らず、日常にも起きることである。
自分にはどうにもできないからといって、自分にも関わる問題を見ようとしないのは、解決から最も遠ざかる在り方である。
主体的で協働的な人間の在り方とはいえない。
まずは、知ること。
そして、改めて見つめ直すこと。
誰にでもできることである。
今日は、震災と現状について知り、見つめ直す日にしたい。
=========================
この記事を書いた時、熊本の地震が来るとは思っていなかった。
まずは知ること。
その上で、できることを考える。
今は熊本に目が向くが、福島も未解決のままである。
今後も被災地には関心を注いでいきたい。
2016年4月27日水曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿