2016年5月9日月曜日

「忘れないで」「早く忘れて」議論

仲間と話していて、面白い気付きがあったのでシェア。

1年間持った学級の子どもたちに対し、元担任はどうあるべきかという話である。
ある人は「ずっと忘れないでいて欲しい」という。
またある人は「早く忘れて欲しい」という。
また「最高の思い出」としてあり続けたいという意見と、もっといい思い出を作って欲しいという意見。
他にも、人の数だけ考え方が色々ある。

どう考えるべきか。

私見としては、「最高の思い出」を常に更新し続けて欲しいという感じである。
それは、過去の肯定であり、現在の肯定でもあり、未来への肯定でもある。
良いものは良い。

そこで、こんな風に話してみた。

今結婚している人がいるとする。
今の伴侶が、最高だと思っているとする。
(反論のある人も、ここに口は挟まないこと。話が進まない。前提である。)
その時、それ以外の人を、どう捉えるかである。

過去の人との思い出を、肯定するか否定するかである。
「すごくいい人だった」と思っていても、目の前の伴侶への否定にはならない。
同じく「あんまりいい人ではなかった」と思っていても、今の伴侶への肯定にはならない。
どちらにせよ、それがあったから今があるといえる。

では、どちらの捉えがいいかというと、やはり過去の肯定である。
過去も良かった。
そして、今が最高に良い。
そういう方が、輝いて見えないだろうか。
(嫉妬は、相手の持つ輝きへの憧れから生ずる。悪いものでもない。)

話を学級の子どもと担任に戻してみる。
〇年生の時はとっても楽しくて、最高だった。
そして、今の新しい学級が大好き。
これが、子どもにとっても、そして担任にとっても幸せな考え方になるのではないだろうか。

最高の学級経営を目指してがんばった。
そして、次は、もっともっと上を、史上最高を目指す。
いつでも、更新である。
そのために、今日も、自分自身を更新したい。

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