前号で、全員一致の難しさについて書いた。
そう考えると、ルールを決めるというのも、一筋縄ではいかない。
しかし、一番いけないのは、決めないこと。
特にルールに関しては、一旦とりあえずでいいから決める。
決めないことで、混乱が生じる。
特に学級形成初期段階では、非常に大切なことである。
中に、ルールの大枠も決めないで学級経営ができる人がいる。
しかし、その人は、枠を決めてもできる人であることを忘れてはいけない。
「守破離」の「破」や「離」の段階なのである。
自分の理想の追求のためにそこを目指すことに価値はある。
しかし、子どもにとって一番いい方法を最優先すべきである。
担任が〇年生を何十回受け持とうが、子どもにとって〇年生は、今が一生で一回きりなのである。
目の前の子どもに必要なルールを一緒に考える必要がある。
規律があるとは、ルールでぎゅうぎゅうに縛ることではない。
サッカーの試合で、コートやルールがあるのと同じである。
大枠を決めて、自由に動き回れるようにすることである。
ルールがあるからこそ、戦略も練りようがあるし、チームワークも生まれる。
(例えば殴ったり蹴ったりの暴力や暴言が「自由」として許されるのであれば、サッカーの試合は成り立たない。)
子どもが自由になるために、規律をもたらすことも、学級担任の重要な仕事である。
2016年5月24日火曜日
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