2016年1月2日土曜日

書き初めと評価と自信

新年の話題。
書き初めの宿題の話。
みなさんも、小中学生の頃に、やったと思う。
得意、または好きだった方だろうか。

私はいわずもがな、ずっと嫌&苦痛であった。
書くことが嫌なだけでなく、評価が付いたものを、立派な級友のものと並べて掲示されるのがたまらない。
誰が見ても「うわぁ・・・」というレベルの我が作品を、敢えて人前に晒す。
気分は公開処刑である。

そんな書写へのネガティブイメージ全開の私に、一筋の光をくれた先生がいた。
高校の書写担当の先生である。
毎回、「甲」「乙」「丙」の評価が入って返ってくる。
これは正直嫌だった。
毎回「丙」か、稀によくて「乙」。
しかし、ある時「甲」の更に上の評価がついた時があった。
評価へのマイナスイメージしかなかったが、このたった1回で、しばらくは一生懸命やろうという気になった。
持続性はそんなになかったものの、今でも覚えているというのは強烈な印象である。

ちなみに、美術に関しても同じようなことがあった。
美術も割と自信がなかったが、ある日大学の先生が私の作品を取り上げて、授業中に褒めた。
授業後、「もらっていいか」と聞いてくれた。
喜んで差し上げた。

これらの出来事以来、自分の作品に自信がついた、ということはなかったが、視点の転換があった。

要は、評価とは、自信をつけるものでなくてはならないということである。
マイナスの評価で「もっとがんばれ」というのが必要なことも中にはあるかもしれない。
しかし、大抵の場合、本人が既にマイナス点を自覚していることの方が圧倒的に多い。
何をするにも発表するにも「自信満々です」という人の方が絶対数は少ないはずである。

そこで、我が子が書き初めに挑戦し、できた作品にどうコメントするか。
もう、全力で褒めてやるしかないと思う。
全力で何とか書き上げた作品ならば、多少曲がっていても気になる点があっても、褒めてやるに限る。
(書道を本格的に習っている子どもで、立派な賞を毎回もらうような場合に関してはわからない。それは別の方法である。)

自信は、「勘違い」から。
周りが認めてくれるから、自信がつく。
最初はそれでいい。
「他人が認めてくれなくても、評価されなくてもいい」というのは、既に自信がついた人の使う台詞である。

子どもには大いに自信をつけて、明るい1年を過ごしてもらいたい。

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