最近あった、ある水族館での出来事。
水族館内のあるコーナーの遊び場。
大きな画面があり、様々な魚が画面内を泳いでいる。
自分が書いた魚が画面内を泳ぎ回るというもの。
子どもたちが自由に描いて、それを「水槽」に放つ。
見ていて楽しい。
我が子らも個性的な魚を描いて、ついでに自分の名前も入れていた。
親に似て、なかなかに自己主張の強いやつである。
大いに褒めた。
隣で、5,6才ぐらいの子どもが、ニコニコしながら同様に魚を描いていた。
画面に大きくポンっと出た。
瞬間、母親と思しき人の口から出た言葉が
「何これ、ださっ。」
であった。
その子どもは、何も言わずに魚を眺めていた。
ここで「あんたねぇ」とは、もちろんいかない。
休日の穏やかな時間に、見知らぬ家庭の親を説教する気合いはない。
ただ、暗澹とした気持ちになり、思うところはあった。
これは、遊びである。
だからこそ、「うまく描く」必要は全くない。
楽しく描いたものを褒めてやればいい。
それだけの話である。
子どもには、ブラックジョークは通じない。
「けなして褒める」という手段であっても、あくまで大人向けである。
例えば「お前みたいなバカはいない」という褒め方は、子どもには通用しない。
直接的に「発想がすごい!素敵!」と褒めてやるに尽きる。
「上手い下手」という話でいえば、どんなに上達しても、上には上がいる。
この例でいえば、本当はその親に「じゃああんた手本を描いて」と言ってやりたい。
それで、周りの人に評価してもらえばいい。
まず怖くて描けないはずである。
常に比べていたら、永遠に自信が持てない。
下のレベルの人と比べない。
傲慢になるだけである。
以前の自分だと思って、温かく見守るか励ます。
上のレベルの人と比べない。
自信を失うだけである。
まだ見ぬ自分だと思って、憧れをもって教えてもらい、学ぶ。
子どもをけなさない。
まして他人と比べない。
子育てどうこう以前に、教育全般の超基本中の基本である。
2016年1月28日木曜日
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