今回は、雑感。
(ちなみに、最近の話ではなく、いつか書こうと思っていたことである。)
教室にいると、色々とある。
時に、子どもが嘘をつくことがある。
経験を積むほど、嘘が嘘だとわかる。
逆に、経験が浅い内は、嘘にコロッと騙される面がある。
どちらが幸せか。
実は、騙されている方が幸せである。
「嘘も方便」という諺もある。
人が嘘をつくのには、理由がある。
子どもも同様である。
なまじ、経験を積むと、嘘が見えてしまうから苦しい。
気付かなければわからない、悪いところが見える苦しさである。
見えてしまった時、どうするか。
場合によっては、敢えて騙されるという選択肢もある。
見えているけど、「そうかもしれない」と思い込んでみる。
または、「とりあえずそういうことにしておこう」と静観してみる。
自分に置き換えて考えてみる。
例えば、会社員なら、上司がいる。
この人が、完璧で何でもお見通し。
そして、あなたのミスや嘘を事細かに指摘して正そうとしてくる。
想像するだけで、息苦しくならないか。
そういうことである。
あまりに見えすぎる教師だと、お互い苦しい。
だから、「スルー」する部分もあるということである。
自分が教える時にも適用できる。
例えば、何か教える時にどうにもうまくいかない子どもがいるとする。
この時、いかに子どもの可能性を信じてやれるかということ。
今の実力はどうでもいいのである。
将来、何とかなるのではないかという希望。
きっとよくなるという勘違いにも似た確信。
それが「ピグマリオン効果」で、正の効果をもたらすことがある。
逆も然り。
教師が子どもに絶望したら、終わりである。
騙されてみる。
自分自身、完璧ぶらない。
お互いのための作戦の一つである。
2016年1月8日金曜日
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