2016年1月8日金曜日

騙されるのも仕事の内

今回は、雑感。
(ちなみに、最近の話ではなく、いつか書こうと思っていたことである。)

教室にいると、色々とある。
時に、子どもが嘘をつくことがある。
経験を積むほど、嘘が嘘だとわかる。
逆に、経験が浅い内は、嘘にコロッと騙される面がある。

どちらが幸せか。
実は、騙されている方が幸せである。
「嘘も方便」という諺もある。

人が嘘をつくのには、理由がある。
子どもも同様である。
なまじ、経験を積むと、嘘が見えてしまうから苦しい。
気付かなければわからない、悪いところが見える苦しさである。

見えてしまった時、どうするか。
場合によっては、敢えて騙されるという選択肢もある。
見えているけど、「そうかもしれない」と思い込んでみる。
または、「とりあえずそういうことにしておこう」と静観してみる。

自分に置き換えて考えてみる。
例えば、会社員なら、上司がいる。
この人が、完璧で何でもお見通し。
そして、あなたのミスや嘘を事細かに指摘して正そうとしてくる。
想像するだけで、息苦しくならないか。

そういうことである。
あまりに見えすぎる教師だと、お互い苦しい。
だから、「スルー」する部分もあるということである。

自分が教える時にも適用できる。
例えば、何か教える時にどうにもうまくいかない子どもがいるとする。
この時、いかに子どもの可能性を信じてやれるかということ。
今の実力はどうでもいいのである。
将来、何とかなるのではないかという希望。
きっとよくなるという勘違いにも似た確信。
それが「ピグマリオン効果」で、正の効果をもたらすことがある。
逆も然り。
教師が子どもに絶望したら、終わりである。

騙されてみる。
自分自身、完璧ぶらない。
お互いのための作戦の一つである。

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