アクティブ・ラーニング考察。
アクティブ・ラーニングに対しては、解釈が広い。
解釈が広いと、誤解も生む可能性も高い。
誤解の一つは、教師の指導性についてである。
子どもが自ら動くことを重視するために、教師主導を極端に否定してしまう。
否定するというよりも、それを盾に指導の放棄をしてしまう可能性がある。
指導しないでもやる気を勝手に出してくれるなら、放っておけばよい。
しかし、そんなうまくいくはずがない。
誤解しがちな例を挙げる。
どの教科でもいいのだが、学習課題を設定して、
「この問題について、今日はみんなで協力して考えてみましょう。」
これだけでうまくいく実践がある。
映像だったり、公開研究会だったりで見られることがある。
普通に考えれば、それをそのまま自教室では実践しない。
それ以前のベースになる指導がきちんとなされていることを知っているからである。
しかし、経験がないと、このあたりを誤解する。
「こういう風に子どもに任せると、うまくいくのか。」と考える。
そして自分のクラスでその部分だけをそのまま実践すれば、当然滅茶苦茶である。
「同じやり方をしたのに、なぜうちのクラスはうまくいかないのか」と悩む。
違う体型の人に同じサイズの服を着せるようなもので、無理である。
体型に合ったサイズの服だから、似合うし無理がない。
たた悩んだ後に、自分の日常の指導が悪いことに気付けば改善できる。
しかし「子どもに問題があるからだ」と考えると、永遠に泥沼である。
指導なしでやらせたら、単なる放任である。
話し合って解決できるクラスは、解決の仕方を指導されている。
仲間同士の関係づくりについても、日々指導されている。
教師の指導があった上での「アクティブ・ラーニング」があることを忘れないようにしたい。
2015年10月25日日曜日
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