今年、教育実習生の授業を観る機会がたくさんある。
「どうしてこうやるの?」と聞く。
すると、「自分が小学生の時、このやり方で授業を受けてきました」という。
ある程度ストレートに大学に来たとして、今の20~22歳の学生が小学校で受けた教育は10年前。
私も当時教えた子どもたちである。
つまり、小学校教育そのものが、直接教員養成系大学の学生のお手本となっている。
講義でたくさん学んでいるかもしれないが、ベースは自分の受けた授業。
どの地方のどの小学校であっても、未来の教師を育てているといえる。
そう考えると、責任重大である。
「十年一日」とはよくいったもので、十年前と今で教え方が全く同じ場合、これは危ないかもしれない。
不易と流行という面で、不易の面を疎かにしないのは大切だが、単に工夫がないのはまずい。
今目の前にいる子どもへの教育は、十年後の子どもの教育にも何らかの影響を与える。
「研究と修養に励む」という不断の努力が教師に求められるのも、納得である。
2015年10月11日日曜日
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