今、教室前方にそんな言葉を書いた紙を掲示している。
経緯は、教室移動の際や、帰りの支度の際に、早く終わってずっと待っている人に対し、遊んでいる人がいることからである。
大切なことである。
正論だと思う。
しかし、見る度にどきっとする。
自分ができているか。
授業でも、ついしゃべりすぎて、子どもの時間を奪ってないか。
毎回聞く価値のある話ができていれば別だが、そこもかなり心許ない。
普段から子どもに言い聞かせている様々な言葉。
改めて見ると、どれも自分自身に言っているようにしか思えない。
教育実習生への指導も同様。
人に教えるということは、自分自身を省みる行為だと思い知る日々である。
立派な言葉ほど、使う時は注意したい。
2015年10月13日火曜日
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