先日、友人と話していたところ、興味深い話が出た。
例えば、子どもの目が輝くネタやモノ、手法がある。
それぞれの先生が持っている。
しかし、同僚であっても意外と知らないことが多い。
良いものなのに、なぜ知れないのか。
原因を考えた。
知らない側の原因は、こちらが知ろうとしないことが考えられる。
これは更に大別できる。
1つ目は、自分の中にニーズがない場合。
特に困っていないから、いらない。または合わないと思っている。
2つ目は、単に気付いていない場合。
困ってはいるが、身近に解決法を持っている人がいるとは思っていない場合。
3つ目は、相手が聞きにくい場合。
話しかけにくいとか、教えてくれなそうな雰囲気を持っている。
持っている側の原因としては、教えようとしないことが考えられる。
これも更に大別できる。
1つ目は、教えるほど価値のある実践だとは本人が思っていない場合。
普通にやっていることだから価値を感じていない。
2つ目は、教えたくない場合。
自分以外の人もできるようになると、自分の価値が下がると思っている。
3つ目は、教えたいけどどうしていいかわからない場合。
自分が嫌われていると思っていたり、有り難迷惑になりそうだから控えている。
原因は様々だが、総括すると「コミュニケーション不足」に尽きる。
互いを知らないから、高い価値を感じない。
風通しの良い職場では、自由な実践とその共有化がしやすい。
雑談や飲み会のような場にこそ、学びの種がありそうである。
2014年5月27日火曜日
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