年末の大掃除に関連して、清掃指導について。
掃除は、わかりやすく学校における「仕事」に近い存在である。
自分の分担をやらないと、自分も周りも困ることになるものである。
一方で、やることで周りが助かるものである。
そのため、掃除においては、「きれいになった」という結果が大切になる。
「一生懸命やった」と本人が思い込んでいても、汚れていたままでは意味がない。
ほうきを一生懸命動かしているとしても、同じ場所を何度掃いているようでは、無駄である。
他の人がせっかく掃いたところに後ろから掃いて埃を被せてしまっては、元の木阿弥である。
掃くのにも拭くのにも順序がある。
ほこりやちりが溜まりやすい場所というのもある。
大抵の場合、物を動かさないといけない。
そうなると、そもそも物を減らす方向(整理)も必要になる。
きれいにするにも、頭を使った創意工夫が必要である。
掃除は、結果も大切になる。
結果を出す方法というのがある。
そこは、ある程度教えた方がいいこともある。
人のために動くという機会が大切である。
一生懸命に勉強しているだけだと、これがない。
どんなにいい成績をおさめようが、自分のためでしかない。
部活動でも同じである。
だから、本当に強い部活動は、清掃指導やマナー面にも力を入れているところが多い。
感謝の気持ちや他者貢献が、結局強いチームを作る。
そのチームが来ると、大会会場がピカピカになるという。
勝って称賛されるのは、そういうチームである。
学校は、自らの能力を発揮して社会で活躍し、社会に貢献できる人間を育てることが求められる。
自他の幸福に資する存在であることが望まれる。
清掃指導では、結果を求めることと、意味付けの両方が大切になる。
「どうなることが理想か」と「何のためにやるのか」である。
これ自体が仕事のモデルになる。
それはもちろん将来清掃業に携わるためという訳ではない。
仕事そのものの在り方、意義を学ぶ場になる。
将来が起業家だろうが会社員だろうがそこは同じである。
社会の幸福、向上に資する結果が求められる。
清掃指導などは特にわかりやすいだけで、全てが同じことである。
学校生活におけるあらゆる子どもの「役割」において、向上的変容を求めていきたい。
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