2021年12月25日土曜日

待てない思考を考える

 クリスマスとは関係なく、今日は日常生活からの気付き。


世の中、待てない人が多いという。

私も正直、あまり気長に待てる方ではないと思う。

(ちなみに、飲食店や遊園地などの行列に並ぶのが嫌な理由は、待てないからとは違う。

自分も行列の一部になるのに対し、抵抗感があるからである。)


先日は、その場に一台しかないATMを、とあるご高齢の老紳士が使用中だった。

何度も何度も通帳やカードを出し入れしては、作業を繰り返している。

進んでいるのか失敗しているのかどうかも、見た目ではわからない。


・・・5分経ち、10分経ち、後ろに並んでいた人たちが一人、また一人と去っていった。

(その時、たまたま私はスマホで仕事のメールの返信文を作成していたため、待つこと自体があまり気にならなかった。)


それぞれ、不満があっても言わないで、自分が我慢していた。

そして、私と私の前にいた一人の老婦人を除き、誰一人声はかけず、他の数人は立ち去るという選択肢をとった。


この現象をどう捉えるか、一人外で昼食をとりながら考えていた。


「あまり周囲に気を遣わない方が本人は得だが、周りはあおりをくう」

という捉えが一つできる。

やられた方は、かなりイライラする考え方ではあるが、割とよく見られるものである。


一方、

「気を遣っていない訳ではなく、単に動作がゆっくりな人もいる」

という考え方もある。


今回は、かなりご高齢の方である。

動作が機敏でないのは、仕方がないように思う。


また、自身がこの現象を「不幸」と受けとるかどうかにもよる。

私はその場でやることがあったから、たまたまイライラせずに済んだだけである。

元々決して心が広い訳でも、我慢強い訳でもない。

他の人と同様、自分が時間のない状況だったら、イライラしていたに違いないと思う。


教育に転化して考える。


子どもが遅くてイライラしてる大人がたくさんいる。


これは、本当に、子どもが悪いのか?

そもそも無理なのではないか。

そんなに子どものスケジュールを詰め込んでいる大人の側に問題があるのではないだろうか。


お店でも同じである。

客数に対し店員さんが少なすぎて、対応が遅れるとする。

店員さんが足りないのは、店員さんの責任ではない。

むしろ、経営者側の責任である。


また、待てないお客さんの側にも考えるべきところがある。

自分がその店員さんの立場だったら、一体どうやって解決するのか。

店員さんに不満をもつお客さんであれば、恐らく自分が店員の場合「待てない客が悪い」と考える気がする。


相手のせいで、自分が待たされていると感じる。

他責的思考である。


一方、不満があっても言わないで自分が我慢する人がいる。

子どもでも大人でもいる。


「アサーティブ」に相手の立場を慮った上で自分の立場の考えを伝えることもできるはずである。

本当に自分にとって必要なことには、声を出せる人間であることも大切である。


ただ「待った」という出来事だが、色々と気付くところがあった次第である。

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