2021年12月8日水曜日

集団の中に生きる個を考える

 動物は相互扶助を行う。

その一方で、平常時には権力争いやいじめもする。

全て本能的にプログラムされた行為である。


例えば死にそうな仲間がいたら助ける。

中には、群れが襲われそうになった時、囮になる者さえもいる。(親が子を守る時など顕著である。)

動物には、個の生命保存以上に、種の保存を優先することがある。


助ける行為がある一方で、権力争いもする。

群れの中に上下関係ができて、統治される。

昆虫の中にさえ、アリやハチのような上下関係のある分業コミュニティを作るものがある。


人間の場合はどうか。

他が困っている状況を認識すると、赤ん坊はそこへ手を伸ばそうとするという話を聞いたことがある。

(上越教育大学教職大学院教授の赤坂真二先生による自治的学級づくりのセミナーで聞いた話である。)

本能的に助け合う能力がプログラムされている。

そして、権力闘争を行うところも同じである。


つまりは、個としての欲求も充足したい一方で、コミュニティも守りたい。

人間社会というものを大事にして貢献しつつ、私自身も充足させたい。

これが健全な状態である。


学校教育でも、ここを目指す。

個のためが全てでも、集団のためが全てでもない。

集団の発展のために個を生かす。


自分の思うように集団(あるいはその仲間)がならないことに文句を言わない。

スポーツと同じで、場のルールに従わないプレーヤーはプレーを続行できない。

自分の行動を変えるべきである。


一方で集団が良くない方向にいっているなら、自分のためにもそこへ働きかける。

集団に困った状況があるなら、解決へ貢献する。

自分の行動を変えるべきである。


日常の生活の中で、個として充実した時間を過ごせているか。

また、個として集団へ貢献できているか。


公の場では、私的欲求よりも公的利益が優先される。

ここを勘違いすると、社会にとっても個人としても不幸な人間ができる。


個の尊重が集団の貢献へとつながるようにする。

抽象的だが、特に義務教育段階の学校教育の役割としてはここが重要なように思われる。

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