年末の大掃除の時期に書いた、「捨てる」ということの前向きな意味について。
大掃除は、モノの処分が大切になる。
いかに不要なものを捨てるかに9割がかかっているといえる。
残したものは、来年も大掃除の対象となり、それまでに手入れが必要になるからである。
明らかに古くて壊れているものは、一番楽である。
気持ちよく処分できる。
あまり使わないけど比較的高価なもの。
今日からすぐに使う予定、あるいは1年以内に使用したなら、捨てずにとっておいてもよい。
そうでないなら、捨てても問題ない。
「まだ使える」というモノはどうか。
これは、一番捨てづらい。
今も時々は使っているし、まだ使えるからである。
特に気に入っている訳でもないが、使えるというモノである。
ここが、今回の話の肝である。
「まだ使える」
この言葉が出た時の、心理状態はどうか。
積極的に「使いたい」「使いたくない」どちらか。
もっといいモノがあれば、そちらを使うか。
まだ使えるという言葉の裏には、あまり良くはないが、というニュアンスが含まれる。
心からのお気に入りでとても使いやすいのであれば、捨てずに使い続けるべきである。
しかし、我慢して使い続けるのであれば、そこは捨てる対象になる。
私は、ものを大切にしようというスタンスである。
ただ、本来の価値や機能を失ってしまったものをいつまでも使うのは、ものそのものにとって本望ではないのではないか、と考えるのである。
ものが自分のものとして存在することの意義は、自分にとって役立つ、もっと言うと、生活の幸せにつながるからである。
「まだ使える」というぐらい使い倒したのであれば、もう十分ではないかとも考えられる。
ものの扱い方は、生き方につながる。
例えば仕事のやり方でも「まだ通用する」ということで使い続けると、より良い方法を模索しなくなる。
習慣、慣例に流されるようになる。
まだ使えるかもしれないが、もっといい方法があるなら、そちらに挑戦した方が、良い結果が得られるかもしれない。
今、学校現場は、急激にICT化が進んでいく傾向にある。
まだ使える実践もたくさんあるとは思うが、より良い方法が出てきそうな気配である。
昭和に「ガリ版」の技術が必須だったが今は使わなくなったように、「捨てる」こともたくさん出てくることが予想される。
今のやり方は、まだ使えるかもしれない。
しかし、もう役目を十分果たしたかもしれない、とも考えられる次第である。
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