前号の続き。
学級が荒れる方法について。
今回は「ルール破り」への対応について。
学級で、ルールを破った子どもがいて、それを見つけた子どもがいたとする。
基本は、見つけた子どもが注意できればいい。
しかし、なかなかそれが難しい子どもは、教師に相談する。
ここの対応はかなり大切である。
「きちんと対応する」
「対応しない」
どちらが正解か。
意地悪なようだが、「どちらも正解かもしれないし、不正解かもしれない」が答えである。
どういうことか。
これが単なる「告げ口」目的である場合、対応しない。
目的に「仲間が叱られるのを楽しむ」面が見られる時である。
自分が正義になって懲らしめようとする時である。
相手を悪に見立てて自分が正義になろうという二項対立が見えた場合、対応しない。
下手に対応した場合、学級の人間関係がぎすぎすして、荒れの原因となる。
この場合は「自分でやってみて」と突き放す。
しかし例えば内容が「いじめ」に関わるものなら、即時対応する。
社会的にも法に抵触する見逃せないルール破りであるいじめに対し、仲間を救いたいという切実な相談である。
これを「自分たちでやって」と突き放す訳にはいかない。
これは、前号で例を挙げた、何かのために列に並んでいる場面を考えればわかる。
係員の指示に従って、みんな整然と並んでいる。
その中で、割り込みをする者がいる。
見つけた人が係員に「割り込んでますよ」と伝える。
その時、係員が「あなたが注意してください」と言ってきたらどうか。
完全な間違いである。
あなたは一体何のためにいるのだと言いたくなる。
なぜなら、ここでルールを司っているのは、係員だからである。
係員が、ルールを守ることを保証しているのである。
違反者には毅然とした対応が期待されているから、みんな真面目に守っているのである。
学級も同じ。
学級のルールを保証して安全を担保しているのは、学級担任である。
紛れもなく、学級担任その人である。
だから、いじめであれば、当然100%自分の責任という覚悟をもって、解決に当たる。
間違っても「知らなかった」とか「見つけた人が解決して」とは言わない。
だからこそ、子どもは担任の言うことを進んで聞こうということになる。
この対応を間違えた時、学級担任への信用・信頼は崩れ、権威は地に落ちる。
学級が荒れ放題に荒れること請け合いである。
学級のルールを保証しているのは、担任しかいない。
学級経営の鉄板ルールである。
2018年4月16日月曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿