2018年4月12日木曜日

選べることは幸せか

最近は、何でも選択肢が多い。
あらゆるモノ・コトが、自分でオーダーできる。

職業選択の自由は、今や当然の権利である。
江戸時代の日本では、親の家業を継ぐことに決まっていた。
だから、原則として就職先に悩む人はいない。
伊能忠敬のように、商家から地図づくりの仕事を始めるなど、例外中の例外である。

ところで、江戸時代の日本というのは、他に類を見ないほど、平和だったという説がある。
しかし、国民の暮らしぶりを見れば、今のように便利でも自由でもない。
江戸時代は、何かと選択肢がない。
ただし、比べる対象もない。
だから、選べないことへの不自由感はない。

損失回避という行動経済学の理論がある。
人は、得る喜びより、失う恐怖の方が大きいので、そのように行動するという理論である。

選択肢が多いということは、他を全て失うことを指す。
選択した後まで、「あっちがよかったかも」と迷うのである。

選択肢の多さは、この不幸感にもつながる。
今の時代は、インターネットで世界中が比較対象である。
本来は一生自分に関係ないレベルのことまで比較対象に入ってくる。

自由で選択肢が多いことが、本当に幸福感につながるのか。
逆に、選択肢もなく決まっていた方がいい場合も多いのではないか。
なぜこの疑問を抱いたかというと、教育実践でこの手の失敗をすることが多いからである。

どこからどこまでを自由にするか。
どこをきっちり決めるか。

不用意に「自由」を与えすぎることが、かえって子どもを不自由にしていないか、疑問に思った次第である。

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