2018年4月14日土曜日

学級づくりを学級だけで考えない

先月は、学級開きについて連続で語る機会があった。
学級開きの話をする前には、必ず学級づくりについて話す。
初日に学級の基礎を築くからである。
初日に学級のルールを伝えるからである。

この時必ず語る、「学級を確実に荒らすコツ」がある。
繰り返すが、「荒らすコツ」である。
万人がうまくいく方法は非常に少ないが、万人がコケる方法はかなりの汎用性、再現性がある。

その最たるものが
「真面目な人に損をさせる」
ということである。

裏返して言えば、
「不真面目を優遇し、ルール破りを許容する」
ということである。

「敢えてそんな馬鹿なことはしない」と思うかもしれない。
どっこい荒れている学級では、これが大抵まかり通っているのである。

不真面目を優遇するとは、どういうことか。

例えば、話を遮って妨害してくる子どもを優先的に相手する。
例えば、授業中に真面目にやらない子どもに「一生懸命」「丁寧に」「情熱をもって」優先的に指導をする。
例えば、掃除をさぼっている子どもにも同様な指導をする。

全部ダメ、「ダメ×100」ぐらいダメである。
「注目は報酬」=「叱責も報酬」というキーワードを忘れないことである。
話を妨害する子どもにわざわざ報酬を与えてはいけない。
味をしめて、何度でも繰り返すように行動を強化することになる。

ちなみに、授業を真面目に受ける、掃除を真面目にやるというのは、ルールではない。
有無を言わさぬ「当然のこと」「義務」の類である。
だから、叱責などという高級な贅沢品は与えてあげない。

不適切な行動には、基本的に「意図的な無視」で切り返す。
(正確には、目にも意識にも入っているのだが、表面的に全く相手にしない。
一瞬目線を移して、小さく頷く程度の反応である。)

叱責の時間を、真面目にがんばろうとしている子どもへの称賛にすべて費やす方が、100万倍良い効果がある。
授業をきちんと受けて伸びたいという姿勢の子どもを「優先的」に相手することである。
(不適切な行動を繰り返してしまう子どもには、後でゆっくり話を聞いて、とっくり語ってあげることも大切である。)

そして、これを実現するコツは、事前に全体に周知しておくことである。
「私は、真面目にがんばる人を優先したいから、後で聞いてあげるね。」
ということを、特に「やんちゃ」な子どもには、十分に事前に伝えておくことである。
(この辺りについては、拙著『ピンチがチャンスになる「切り返しの技術」』に詳しい。
https://www.amazon.co.jp/dp/4181907120

原則としての順番がある。
ここを間違えないことである。

しかし。
実際は、この下手打ちをしまくる。

なぜなのか。

それは、実際の社会が、この対応でまかり通っているからである。
ニュースを見れば、不正をしている者が、最も多くの注目を受けている。
外を歩けば、不正を行っている者が、不当に多くの利益を受けている。
(以前記事にして反響のあった「荒れる成人式報道」の問題提起と同義である。
参考URL http://www.mag2.com/p/news/139065

真面目に長時間整列している人々の間に、「知り合い」を使ってしれっと入っていく人間を見ることは、決して珍しくない。
そして、自分に面倒がふりかかるのを誰もが嫌がり、無関係を決め込み、誰も不正を咎めない。

「無関心」「利己主義」は、会社や学校など、全ての組織の内部が腐る構造の最大要因である。
それが、残念ながらまかり通っているのが、現実なのである。
世の中は、かなり理不尽だという前提に立つことである。

しかし、これをそのまま学級に「自然に」もちこむと、とんでもないことになる。
子どもには、「基本としての善」を与えるべきである。
(私の師の野口芳宏先生は、これを原理・原則・原点としての徳、「原徳」と表現している。
例えば、かつての日本の原徳は「忠」「孝」であったという。)
「悪が勝つことが多い」とか「正義が通らないこともある」ということは、ベースとして教えることではない。

学級づくりについて話すことはできる。
しかし、大人の社会についてつっこまれた時、ぐっと答えに窮するのも事実。

日本の子ども社会の諸問題、いじめや不登校などの教育問題について真剣に考える。
その前に、日本の大人社会の抱える闇についても考える必要がある。

理想の学級づくりは、学級の中だけではできない。
学校、保護者、そして地域ぐるみでこそ、実現する。
そう実感している昨今である。

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