東日本大震災から7年と1ヶ月になる。
私も過去何度もお世話になっている『被災地に学ぶ会』は、6月23日(土)にまた福島の南相馬市へ赴くという。
私は既に先約があって今回参加ができないが、今年も何かしらの形で関わっていく予定である。
大きなことというのは、自分一人の力ではどうにもならない。
正直、被災地でボランティアさせていただいても、自分ができることは、たかが知れている。
ただ、「自分ががんばってもどうせ」という精神は、あらゆることへの後退を促す。
あらゆるマナー違反もこの類である。
選挙の投票率がふるわないのもそうである。
そして、最後には「自分なんかどうせ」という、自分自身の存在への諦めにもなる。
ボランティアをして、救われたという話はよく聞く。
動物愛護センターの職員の方なども、動物を救うつもりが、いつの間にか自分が救われていたという話も聞く。
教師の仕事でも、教えてあげているつもりが、教わっている。
子育ても同様である。
要するに、他の人のためにやれることをやると、望むと望まざるとに関わらず、自分の生き方に影響を及ぼすということである。
ボランティアは、やったことのない人にとっては、やる前の敷居が高い。
やるためには、一度、一念発起して飛び込んでみるしかない。
そして、一度やってみれば「次も行こう」と思う人が多い。
このブログ一つが、何かを思い起こし、行動するきっかけになれば幸いである。
2018年4月11日水曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
教室は、自分の考えを発表する機会が多い。 そして、声が小さいと聞こえづらい。 そうなると「大きな声で」という指導が入りがちだが、これだけだとうまくいかない。 前提条件がある。 まず、たとえ小さな声でも何とか聞こえる環境を作る方が先である。 原則は、仲間の発表中は全員が黙って聞く姿...
-
あいさつ運動、どの学校でもやるのではないかと思う。 しかし、なかなかできるようにならないのが実情である。 街中、都会になるほどしなくなる。 人が多すぎる為かもしれない。 それでも、学校はあいさつ指導の核になる場である。 (全ての教育の核は、学校である。地域の大人も学校の...
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
0 件のコメント:
コメントを投稿