小学館記念セミナーでの学び。
陰山英男先生から
「学校現場を縛っているのは教科書とテスト」という話があった。
教科書はガイドとして有効である。
しかし「教科書を教える」のは違うというのはよく言われることである。
使用義務があることと、隅から隅まで同じ力をかけてやることは別物である。
テストも現場を疲弊させる原点の一つである。
40人いる学級のワークテスト一回にかかる採点の時間はかなりのものである。
(だから、ついためてしまう教員が多いのも頷ける。)
各教科にあるため、それが月に何枚もある。
当然疲れる。
しかし、テストなどは、自分たちで採択したものである。
自分たちで自分たちの首を絞めているともいえる。
特に国語などはそうだが、すべてのテストを同じように実施しないと成績がつけられないかというと、そんなこともない。
「説明責任」のための資料が欲しいという面が結構ある。
やり方次第である。
教科書もテストも、無闇やたらに真面目に取り組むだけでは、当然疲れる。
あくまで目的達成のために「使う」という発想が必要である。
アクティブラーニングの用語に象徴されるように、学び方の転換が求められている。
それなのに、その効果を測定するためのテストが旧態依然なのはなぜなのか。
テストの実施方法や採点方法についても、そろそろ再考の時期である。
2017年5月19日金曜日
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