前回に関連して、教員の働き方について。
年中無休で学校に通い、毎日夜遅くまで残業が当然という人もいる。
こういう人は異常にたくさん、難しい仕事をふっても文句を言わずがっちりこなしてくれるため、重宝されている場合が多い。
それで、定刻退勤する人を単純に労働時間で評価し、「やる気がない」と見なす現場も存在する。
子育て中の母親教員などは、まだ理解されやすい。(それでも、うるさい輩はいる。)
たとえ新規採用の若い人にだって、その人なりの事情があると思う。
何がその人のプライベートにあるのかなんて、全くわからない。
「若い内は残業してがんばるのが当然」という昭和な論理を平成の若者に当てはめてもだめである。
プライベートの世話をできない以上、時間外に何をするのかに口出しするのはマナー違反というより契約違反である。
そもそもその仕事量自体が多すぎないかという視点も必要である。
株式会社「ワークライフバランス」代表取締役社長の小室淑恵さんは、昨年3月の時点で
「3年で長時間労働をやめなければ日本は破綻する」
と提言している。
日本はバブル期の「人口ボーナス期」から、真逆の「人口オーナス期」に入っているということである。
男性が死ぬほど残業していれば企業の売り上げがぐんぐん伸びた時代は、はるか昔に終わった。
(「24時間戦えますか♪」は、あの時代を象徴する秀逸なキャッチフレーズである。)
「人口オーナス期」においては、介護等も絡み、短時間労働が主になる。
企業がこれから先、生き残るには、業務量自体を減らす以外ないということである。
ここに気付かないと、学校はかつてのケータイではないが「ガラパゴス化」の一途を辿ることになる。
一般企業と全く違う形態でこの先やっていけるはずがない。
ただでさえ学校の常識は非常識とか、遅れているとか言われているのに、これ以上時代に取り残される訳にはいかない。
日本の教員の働き方の常識は、世界の非常識であり、社会の非常識である。
まずこの認識に立つことが大前提。
何でも努力と根性で解決してしまう教員は、その論理を、きっと子供に対しても適用する。
「ガラパゴス教師」に教わる子供は、不幸である。
努力と根性は、いざという時の切り札として必要である。
言うなれば「ターボ」であり「必殺技」である。
しかし普段から切り札を出しっぱなしでは、やがて負けは必至。
まずこの認識に立ち、自分のできることを始めることが大切と思う次第である。
2017年3月30日木曜日
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