節分の時の記事。
節分は、今では、春分を指すようになってきたが、本来は年に4回ある。
立春、立夏、立秋、立冬の前日はすべて節分である。
蘊蓄はこれぐらいにして、節分といえば豆まき。
豆まきといえば鬼。
学級では、鬼の出てくる話や絵本を読むのが通例である。
鬼の話。
みなさんは、何が好きだろうか。
私は『おにたのぼうし』が一押しで大好きである。
あまんきみこさんの文体と、いわさきちひろさんの挿絵の絶妙な取り合わせ。
「おにだって、いろいろあるのに。おにだって……」の名言。
おにたの姿に、ぐっとくる。
素晴らしい作品であるからこそ、国語の教科書にも広く採用されている。
しかし、教科書に載ると、かなしいかな、「教材」として見られてしまい、子どもの「好きなお話」ではなくなってしまうことが往々してある。
ぜひ、ああいう作品は「いじりすぎ」ないで授業をしていただきたい。
私は常々「いい素材はそのまま食べる」ことを推奨している。
(大トロは、刺身が一番。炙るまで。煮たりこねたりしたら、台無しである。)
こういう例外的なお話以外、「鬼」というのは、原則「悪役」である。
そこに光を当てた作品が個人的には好きである。
「桃太郎」のように、勧善懲悪の構図はわかりやすい。
わかりやすいものは、大衆の心を掴む。
ただ、世の中は実はそんなに単純ではなく、善か悪かは、実際は時の為政者が決めることである。
やられた鬼の側は、悪者にされたら黙っているしかない。
歴史は、正義は、時の権力者が決める。
悪にも悪の側なりの、正義があるのだが、歴史に抹殺される。
勝った方が正義という論理でいくと、最後は戦争である。
鬼から話が逸れた。
節分は、正義や悪とは何かを考えるのにもいい機会である。
2017年3月7日火曜日
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