自由な話し合い。
自由な活動。
聞こえはいい。
しかし、実際にやってみたら、ぐちゃぐちゃになったという経験のある人が多いであろう。
「自由にさせる」というのは、かなり気合いがいる。
乳幼児が集まって遊んでいる「自由」と同じ状態になる。
ルールや方向性がないため、どうなるかさっぱり分からない。
こちらから見れば用途が明らかに決まっているものでも、全く違う遊び方をする。
ある意味「アート」である。
それが「遊び」の創造性であり良さでもあるのだが、当然危険なこともする。
そこでどうするかというと、「安全第一」で危険物を取り除くことになる。
ビー玉などの飲み込みそうなおもちゃは与えない。
はさみなどの刃物や、鋭利な角のあるものなど、ケガをしそうなものは与えない。
投げたら壊れてケガをしそうなものは与えない。
ルールがない分、予め危険要素を排除するという配慮が必要になる。
何が危険要素かは、その知的発達の度合いによる。
はさみを与えるタイミングは、「切れてケガをすることがある」と判断できるかどうかである。
(2歳未満の子供に「危ないでしょ!」と怒鳴って叱っても、安全の判断ができないのだから無理である。
訳もわからず恐怖感でやらなくなるかもしれないが。)
話し合いを「自由」に近づけたいという場合、ここの配慮が必要である。
自由な話し合いも、安全のベースがあってこそである。
では、話し合いにおける「危険」とは何か。
長くなったので、また次号。
2017年3月16日木曜日
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