前号、努力と根性押しの残業作戦ではダメということを書いた。
今号は、逆に「努力してがんばらないと、ダメ」ということについて。
努力は必要である。
そして努力は、正しい方向で行われることが大切。
正しくない方向に努力するのは、悪である。
何でもがんばれば善というものではない。
例えば「どうすれば嫌いな相手が苦しむか必死に考えて努力をしてます!」というのが悪なのは自明である。
そこまでひどくなくても「仕事が終わらないから毎日根性で残業する努力をしてます!」というのは実は同様である。
次の思考がダメパターン。
仕事が終わらない
→「もっと時間をかけよう」
→それでもまた終わらない
→「もっともっと時間をかけよう」
→またまた終わらない
→「何て自分はダメなんだ。もっとがんばらないと。」
→・・・
これは努力というより、無思考で工夫が無いだけである。
根性を出して努力するほど、害悪である。
こういう可哀相な悪循環にはまっている人がいると、周りの心ある人が声をかけてくる。
「こういう方法があるよ」
「こんな本を読んでみたら?」
「勉強会とかサークルとかに行くと変わるよ」
しかし、これらのアドバイスは、無思考状態の人には、無意味であるどころか、迷惑がられるだけである。
疲弊していて、とても仕事以外のことをする時間はないという認識である。
悪循環に完全にはまっているため、この認識から抜け出すことは容易ではない。
それでも、抜け出せる瞬間が訪れる。
一つは、倒れた時。
もう一つは、周りから「このままでは無理」と認識されて、仕事量を減らしてもらえる時。
後者ならまだ幸せである。
管理職や学年主任がよく見てくれている職場なら、この方法で救ってもらえる可能性が高い。
そこでできた余裕で、工夫をするために学ぼうとする新たな可能性が出る。
肉体的ならまだしも、精神的に倒れてしまっては、戻ることすら難しくなる。
努力は、正しい方向で行う。
一つは、内側への工夫。
担任なら、主に授業の工夫への努力と、子供理解への努力である。
授業がうまくいきだすと、疲れも減るし、子供との関係も良くなり、生徒指導の問題も減る。
残業しないで済む方法を工夫する努力も大切である。
その事務処理一つとっても、無駄はないか。
先輩教員に学べば、確実に自分より早く終わらせる方法を知っている。
もう一つは、外に出る努力。
学校の中だけでは学べないことが多い。
外に出て学ぶ機会をもつ努力は、必ずその人を救う。
この辺りについては少々気合いがいるが、粘り強く根性を出して断行する必要がある。
努力と根性は、必要。
ただし、それを正しい方向で使うことが肝要である。
2017年4月1日土曜日
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