プレジデントオンラインの、次の記事に目がとまった。
「水泳で本当に頭が良くなるのか?」東大生の6割が「小学生時代にスイミング教室」(文:大塚常好)
http://president.jp/articles/-/21527
読み進めると、なるほどなるほど、面白い。
水泳に空間認知能力を養う機能があるというのも、興味深い。
しかし、一番納得したのは、最後のくだり。
========================
(引用開始)
東大生は小学生時代に学習塾の「公文」に通っている率も高いとの報告もある。
また、複数の習い事(勉強系含む)をしたほうが頭のいい子が育つという専門家もいる。
結局のところ、言えるのは東大への切り札的習い事はわからないということ。
よって、あれもこれもやらせようと親が欲張ってもしかたがないということ。
子供本人が楽しめて達成感や自己肯定感を味わえるような習い事をするのが一番ということなのだろう。
(引用終了)
=========================
そう。
「〇〇をすれば××」と安易に考えたくなるのは、人の性である。
そんな単純なことはない。
様々な要素が複雑に絡み合ってできている。
その中で「この要素は関係あるかも?」程度である。
教育実践も同様。
〇〇の手法を取り入れたから、アクティブ・ラーニング。
そんな訳ない。
そんな単純だったら、全国どの教室でも大成功である。
相手が人間である以上、一つの手法が万能ということは有り得ない。
毎回が手探りの試行錯誤である。
その中で、どうやら効く相手の割合が比較的高そう、というのが「有効な手法」である。
(拙著『切り返しの技術』の各手法も、その点はご多分に漏れない。)
はさみは割と万能で便利だが、すべてのものを「切る」のに適している訳ではない。
包丁の方がいい場合もあれば、チェーンソーがいい場合もある。
包丁で紙を切るのは、容易ではない。
チェーンソーで料理をしたら、間違いなく散々な結果である。
どの道具がいいという問題ではない。
使い型と、使う対象次第である。
特に、人間は権威のある人の意見に盲目的に従うのが本能的にプログラムされているため、注意が必要である。
有名人が「ある実践が有効」だと言っても、自分自身で試して判断する必要がある。
また、効果の程も、表面的でないか、自己満足に陥ってないか、吟味する必要がある。
良い方法を求めつつも、その是非は自分で判断するようにしたい。
2017年4月16日日曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿