教育の分野では、何か動きがある度に耳に心地よい言葉が席巻する。
「アクティブ・ラーニング」などもその例の一つで、もう「アクティブ」という語感だけでもイケイケなノリである。
「生きる力を育む」も同様。
口にするのは簡単だが、実際何をするかというと、ものすごく頭も使うし、大変である。
子ども主体。
対話的で深い学び。
「ゆとり教育」などは、今でこそ批判の対象だが、これも本来は耳に心地よい言葉である。
それで、その言葉のまま素直に受け止めたら、何が起こるか。
「子どもが何でも自分の意見を言える自由な教室」に、何が起きたか。
言葉の一つ一つを吟味せずに表面的に扱うと、とんでもないしっぺ返しを食う。
要するに、耳に心地よい言葉に振り回されると、ろくでもない目に遭うということ。
「巧言令色仁鮮し」とは有名な孔子の言葉だが、そんな昔から言われ続けていることである。
言葉自体が悪いのではない。
むしろ、必要なことを端的に言い表している。
しかし、ダメな道徳の授業と同じで、いいこと言えばいいってもんじゃないのである。
行動、内実が大切である。
言葉は使いようで、君子が用いれば人々を正しい方向に導くが、詐欺師に使われたら、悪い方に転げ落ちる。
耳に心地よい言葉だと思ったら要注意。
何事もにも通じる考え方であると思う。
2017年4月25日火曜日
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