2016年8月8日月曜日

「当たり前」でない平和を考える

先日のヒロシマから、ナガサキ、終戦記念日と続く。
平和について考える時期である。

平和も「当たり前」になってくると、ニュースにならない。
復興の進まない東日本大震災の被災地がニュースにならないのも、異状事態が「当たり前」化しているためだろう。
目の前のことに忙殺されていると、大切なことに気付かない。
だから、記念日として設定されていることは意味がある。
こういった記念日はいくつかあるが、8月のこの3日間は、日本人にとって特別であると思う。

国際化が進むほど、自国の歴史を知る重要性は増す。
アメリカや中国をはじめ、アジア諸国やヨーロッパ諸国を相手にする時、どんな歴史観を持っているかは重要である。
ほぼ100%に近い国が、自国の歴史に誇りを持っている。
そして、どの国とどんなことがあったかも、よく教えられている。
原爆の経緯や被害、是非について語れることは、国際舞台における日本人の必須項目である。

どんなに学力が高くても、ここが抜けては意味がない。
アクティブ・ラーニングで言われるところの「対話的な学び」「深い学び」がここである。
相手と対話しながら、自分の頭で考えて語れるかが勝負。
そのためには、まず知識。
だから、勉強は意味がある。
特に歴史の授業は、好き嫌いとか面白いどうこうではない。
前提となる知識がないとどうにもならない。
他教科とは一線を画す必須の学習である。(もちろん、好きな方が理解が深まるので良い。)

丁度始まったオリンピックと共に、歴史と平和に思いを馳せる機会にしたい。

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