「常識」や「当たり前」に合わせるのは苦しい。
しかし社会や学校の中には、この常識や当たり前がかなり多い。
(「かなり多い」というのも、相当控え目な言い方である。)
平均点を当たり前にとれることを求められる。
これほど個性重視が叫ばれていても、やはり全体としてその傾向は否めない。
ある一定の知識や技能を習得することを定められた学校という機関の宿命かもしれない。
体育などでも悩むところで、「全員」ができるのを求めると厳しい。
全員ができる良さもあるのだが、できなくてもそこに学びや価値があればいいと思う。
「全員をできるようにさせよう」とすることと、
「全員にできることを求める」ということは、
似ているようで全く違うということである。
そんなことを思っている折に、いい本に出会った。
『学校でしなやかに生きるということ』 石川 晋 著 フェミックス
http://www.amazon.co.jp/gp/bestsellers/books/500322/ref=pd_zg_hrsr_b_1_5_last
北海道の中学校教師である石川晋先生の新刊である。
「はじめに」の言葉からして、考えさせられる。
「善意ほど人を苦しめるものはないのだ。」
これは、初任者研修についての言葉なのだが、ぎくりとさせられる言葉である。
「自分がされて嫌なことは、人にしない。」
私の学級で約束事として最初に話したことなのだが、私自身ができているだろうか。
横並びが大嫌いなくせに、子どもにも求めている自分に気付く。
そんな矛盾を自分も感じているという人には、ぜひ読んで欲しいおすすめの一冊である。
2016年8月6日土曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿