前号の続き。
高学年以降の男女は、放っておくと混ざりにくい。
では、混ざらないから諦めるかというと、それも違う。
混ざらないからこそ、学級担任は、混ぜるのである。
水と油は、混ざらない。
しかし、乳化させる成分を入れれば別である。
担任は、「乳化剤」になる必要がある。
ペアを組ませて活動させるなど、色々と手を打つのだが、通常、なかなかやらない。
恥ずかしいのである。
自分だけ積極的になると、浮く感じがする。
だからこそ、「大義名分」が必要になる。
「先生がやれとうるさいからしょうがなくやっただけ」という体をとらせる。
「ちょっと先生のお願いに付き合ってよ」という感じである。
「仕方ないなぁ」という感じに、元々男女が混ざれないことに違和感を感じていた数名が動く。
この繰り返しで、ある時一気に混ざる。
しかし、放っておけば、また分離する。
だから、また混ぜる。
この繰り返しである。
放っておけばできないことを、できるようにする。
教育そのものであり、大切な役割の一つである。
2016年8月29日月曜日
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