6月も終わる。
学級の子どもとの関係も大分温まってきた頃である。
一方で、5月から7月にかけては、学級でのトラブルも増えてくる時期である。
遠慮がなくなり、子どもたちの本来の姿が現れてくるようである。
トラブルはチャンス。
トラブルやピンチにこそ、成長の種が隠れている。
ところで、トラブルが起きると、それを起こした当事者に目が向く。
その対応に追われる。
当然である。
放っておけない事態もある。
当然であるのだが、その対応中にも、真面目にやっている子どもがいる。
トラブルがあった時にも、平時と同じようにきちんと行動してくれる子どもがいる。
むしろ、担任がいないからこそ自分がしっかりしなきゃと進んで動いてくれる子どもがいる。
それに追従してがんばってくれる子どもがいる。
ここを絶対に落とさない。
以前にも何度も書いたが、大切なことなので繰り返し述べる。
手のかかる子2割、普通以上によくやってくれる子2割、中間のどちらにも動く子6割である。
この6割がどちらに引っ張られるかで、クラスの質が決まる。
よくやっている子どもを中心に声かけをすれば、6割はそっちに引っ張られる。
最後の2割の子どもは、計8割となった真面目な子ども集団によってやがて引き上げられる。
手のかかる子どもを中心に関わっていけば、6割もそっちに引っ張られる。
よくやってくれるはずの2割の子どもは、不真面目な8割相手に馬鹿馬鹿しくなって、やがて真面目にやらなくなる。
様々な学級経営の方針があろうかと思う。
私の学級経営の一貫した方針は「真面目な人に損をさせない」である。
トラブルを起こす子どもになるべく「負の報酬」を与えない。
たとえ厳しい叱責であっても、注目行為は子どもにとって報酬である。
(暴走族はその最もわかりやすい典型的行為である。注目されること命である。)
叱責の前に、きちんとやっている子どもを認め、感謝の念を伝える方を優先する。
繰り返す。
真面目な人に損をさせない。
不真面目な人は、「とりあえず」相手にしない。
あくまで、とりあえず。
相手にする優先順位は後回しである。
なぜなら、きちんと並んで待っている真面目な人に先に対応すべきだからである。
お店を考えればわかる。
例えば入場待ちで並んでいる列があるとする。
入場するため、規則を守り、整然と並んで順番が来るのを待っている。
そこに割り込みして先に見てもらおうとする人が入ってきた。
そこを相手にして先に入れたら、真面目に並んでいた人が怒る。
その怒りの矛先は、割り込んだ人というより、そこを認めて対応した店側にいく。
当たり前である。
これは、社会全般に共通する、健全な集団づくりの鉄則であると思う。
真面目な人に損をさせない。
ここを外さなければ、大きく崩れることはないかと思われる「肝」の部分である。
2015年6月29日月曜日
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