2015年6月3日水曜日

注意されて泣く子どもはかわいそうか

前号の「素直さ」という話の続き。

「注意されて泣く」という行為は、かわいそうどころか、反抗的でかつ攻撃的であるといえる。
何か言われて「周りの人にわかるように泣く」というのは、相手の注意に対する反撃行為である。

この最も典型的な例は、おもちゃ売り場でギャーギャー泣く子どもの姿である。
要は「買いません」という言葉への反撃として、要求を通すために周囲にアピールしている。
体験的に「こうすれば周囲の目も気にして相手が困り、要求が通る。」ということを知っている。
本人にそんな考えはなくとも、脅しと同種の行為である。

ちなみに、赤ちゃんが泣くのとは訳が違う。
「周囲へのアピール」という点では同じだが、赤ちゃんが泣くのは言語の代わりである。
大声でギャーギャー泣くことが、伝えるための適正な手段となっている。
(逆に、何かあるのに泣かない赤ちゃんは困る。)
だからこそ、泣き方も周りが焦って行動を開始するような「必死さ」がある。

もし赤ちゃんがしゃべることができて、相手を気遣うようなら、次のように言うかもしれない。
「お手数ですが、ミルクをいただけますか。」
「勝手を言って大変申し訳ありませんが、眠いので、お静かにしていただけないでしょうか。」
「大変お手数をおかけして恐縮ですが、おむつの方を替えていただけないでしょうか。」
赤ちゃんがそれを言えたら泣く必要はないのだが、そんなことは言えない。(言えたら可愛くない。)
赤ちゃんは自律の力がなく、我慢ができないからこそ生きていける。

さて、少し大きくなっても、子どもは自律の力をつける途中段階である。
先のおもちゃ売り場での状況があり得る。
ここの対応で子どもの今後が決まる。
どう対応するだろうか。(次号へ続く。)

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