ところで、昨日は父の日だった。
父の日は、母の日があるから、後になってできたという、やや軽い扱いの日である。
家庭内では、やはり「母」なのである。
という訳で、メルマガで取り扱ったのが母の日だったので、今更ながら母の日の話。
母の日。
「子どもの日」と名称が似ているが、子どもの健やかな成長を願う日であるのとは訳が違う。
あくまで「母への感謝」を具体的に伝える日である。
(父の日も同様なのだが、かなしいかな、後付けの感は否めない。)
母親がしていることは、母親的には「当たり前」のことである。
しかしこれはあくまで「お世話」の行為の主体者である母親の感じ方である。
お世話されている側が「当たり前」になってはいけない。
しかし、空気と同様、ふんだんにありすぎるものに対しては、当たり前すぎて感謝の気持ちを持ちにくい。
例えば水泳をすると、普段全く意識しない空気(に含まれる酸素)が有難いものになる。
「有ることが難しい」環境を体験して初めて「有難い」ことに気付く。
本当は有難いのに当たり前すぎるものに対しては「気付く」ためのきっかけが必要である。
以前にも何度も紹介しているが、「当たり前の有り難さ」について考える時、震災の時の給食を思い出す。
普段当たり前のように食べて、余るから残している給食が、急に少量の質素なものになる。
いつもよりずっと質素な白飯とおかず一品の献立が、本当に有難く感じられる。
当然、残飯など全くない。
食料の調達が、たくさんの人の手によってやっと成り立っている事実にも思いが至る。
自分が、いかに恵まれた環境で、たくさんの人々に支えられていたかにも気付く。
そんな訳で、母の日は感謝を伝える日であると同時に、感謝に気付く日でもある。
家族内で多分最も重労働をこなしている母親の姿に思いを馳せる日である。
見回せば、あらゆることの感謝に気付く種がいっぱいある。
「当たり前」の「有り難み」を感じられるようにしたい。
2015年6月22日月曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿