授業で最も「おいしい」のはどこか。
それは「子どもが間違えるところ」である。
AかBか問うた時、「意見が真っ二つに割れるところ」である。
もっというと「間違えている方がやや多数派」だとさらに面白い。
うまくやれば、逆転現象が起きる。
先日、校内で他クラスの国語の授業を参観した。
教材名は「きつねのおきゃくさま」(教育出版2年上)。
(ちなみに、教務主任が飛び込み授業をかって出た。
そういう先生が校内にいるのは有難いことである。)
物語を知らない読者の方のために解説すると、
1 はらぺこきつねがひよこを見つける
2 食べようと思ったがひよこがやせててとってもフレンドリーなので家で育てる(「太らせてから食べよう」)
3 あひるとうさぎも同様に育てる内に、情が湧いてくる
4 おおかみが、育てた3匹をねらって襲ってくる
5 きつねは命がけで3匹を守って死ぬ
大体そんなお話である。
次の問いを出した。
「きつねが戦ったのはなぜですか。」
子どもから大きく次の二つの答えが出た。
A 3匹を守るため
B えさをとられたくないから
AかBか問うと、1:2の割合でBが多数派。
最も「おいしい」展開である。
この後、きつねがおおかみに挑むことの無謀さについて考えることを中心に授業が進んだ。
それでも頑なにBの立場を貫く子どもが多かった。
ここをしっかり理解するには、前半部の丁寧な読み取りが不可欠である。
つまり、きつねが3匹を育てる中で、気持ちがどう変化していくかを本文を根拠に正確に読む。
最終的に「食べる気」がどれぐらいあるか、また「きつねの愛情の変化」を正しく読み取れれば、先の誤読はいなくなるはずである。
残念ながら今回はその時間はなく、一旦授業が終了した。
その後、担任の先生がどう展開するのか、非常に楽しみである。
授業の中心発問は「意見が割れる」ものを選ぶ。
子どもの「不備・不足・不十分」を見抜いて問う。
「一読しても気付かない」「問われなければ気付かない」ものを選ぶ。
補助発問は必要最低限に抑える。
一読してほぼ全員が分かるものは授業で扱う価値がない。
前菜でお腹いっぱいになってメインが食べられないような事態は避ける。
おいしいものはおいしくいただく。
また、その価値や食べ方を知って食べた方が、よりおいしくいただける。
授業も料理も、そこは同じである。
2014年10月18日土曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿