自分の参加しているML上で「褒める」が話題になっての一考察。
一般的に「褒める」という行為にはみな肯定的である。
「ものすごい叱られ方をされた」ということが問題になっても、
「ものすごい褒められ方をされた」ということが問題になることは少ない。
(相手を褒めた「つもり」が問題に、ということは稀に有り得るが。)
「褒める」は「陽」で、「叱る」は「陰」のイメージである。
しかし陰と陽は一対で一つの完全体である。
片方だけでは存在しない。
つまり、どちらかが良くてどちらかが悪いというものでもない。
どちらにも長所がある一方、どちらにも短所がある。
褒めることに、果たして短所があるのか。
褒めるブームに逆らうような気もするが、反対意見が全く出ない、出にくいという類のものは、自分の頭で考えないと危ない。
「前提を疑え」である。
よって、褒める行為の短所を考えてみる。
(長所は一般に山ほど言われているので、ここでは割愛。)
いくつか考えられるが、ここでは最大の短所一つだけについて述べる。
一番の短所、それは「褒められるからやる」という価値観の人間を育ててしまうことである。
つまり、報酬で動くということである。
親や教師に褒められるというのは、子どもにとって最大の報酬になりうる。
報酬と行為をセットにするというのは、調教の手法であり、効果は高い。
(ちなみに報酬には「罰」のような「負の報酬」も含まれる。)
褒められることが目的化すると、褒められないとやらないということにもつながる。
よく「ご褒美でつるのはいけない」といわれるが、褒め言葉も立派なご褒美の一つである。
長くなるので次号に続く。
2014年10月10日金曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿