先日受けた研修会での、講師の先生の言葉。
「親は一生、教師は一時」
親は、一生。
これはよくわかる。
一生、離れられない。
子どもの最高の理解者であり、責任者である。
教師は、一時。
その通り。
大抵、一年程度しか関われない。
転出等があれば、数ヶ月である。
ここで話が終わらず、
「しかし、この一時に意味がある」と続いた。
この一時が、子どもの人生を大きく左右することがあるという。
この一時の関わりが、生きていく上での力を与えることがあるという。
この講師の先生の娘さんは知的障害があるが、これまでの先生方のお陰で立派になれたという。
私はちょうどこの日、この研修会の前に、これと関わる話を、偶然ばったり会った元保護者の方から聞いたばかりだった。
その子どもにとっては、6年生で過ごした一時が、人生の支えの一つになっていたという。
有り難さと同時に、この逆もありき、という恐ろしさも感じた。
「教師は一時」ながら、決して疎かにできない。
もう一度、心身を引き締め直して、子どもの前に立ちたい。
2014年8月9日土曜日
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