すべての「元気がよすぎる」子どもたちに贈りたい名言。
「百、悪いことをしたら
百一、良いことをすればいい。」(大越俊夫)
そうだなぁ~と、腹の底から納得。
ザ、未来志向。
また、いつ「良いこと」が「悪いこと」を上回るかだが、ずっと後でもいいと考える。
将来にわたって、長い目で見る必要がある。
なぜか。
「何回言われれば分かるの?」と子どもにきく。
「ごめんなさい」と子どもは言う。
でも
「あきらめるまで言われるの」
が本音かもしれない。
あるいは
「そのうち直すから、一生待ってて。」
だったりしたら、どうしようと思う。
いつかは良くなると信じる。
これしか方法はないのかもしれない。
親と教師向けだと
「百、裏切られたら
百一、信じればいい」
になる。
「それができれば苦労ない」と反論したくなる。
しかし、最終的には、腹を据えて覚悟するしか方法はない。
「諦める」=「明らかに認める」らしい。
自分の子ども時代を思い出し、ダメだったことを認めてみる。
思い出すと、今も直ってないことに気付く。
それでも、まあ、それなりになっている。
そのうち良くなると思って、やることをやったら気長に構えたい。
2014年8月22日金曜日
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